エンゼルス・大谷翔平、カブスにポスティング・システムで入団した鈴木誠也がメジャーリーグで活躍する様子がメディアで連日大々的に報じられている。日本球界もロッテ・佐々木朗希が史上最年少の20歳5カ月で完全試合の大記録を達成。新型コロナウイルスの感染拡大で観客数制限が続いていたが、3年ぶりに入場制限がなくなり各球場で満員御礼の盛り上がりを見せている。
一方で子供たちの野球人口減少が、深刻な状況になっている。 少子化や、部活以外の選択肢が増えた影響は当然考慮しなければいけない。
日本中学校体育連盟の調査結果によると、同連盟に加盟する47都道府県の中学校で主な運動部に所属する部員数は、2021年は男女合計で184万4149人。2001年の263万299人と比べると、大幅に減っている。野球部員数はその減少幅が大きい。中学の軟式野球部の男子部員数は01年が32万1629人だったが、21年は14万4314人と20年間で半分以下に減少している。
子供たちの野球離れは複合的な要因があると考えられている。▽ボールの使用を禁止する公園が増えたこと▽YouTubeやeスポーツ市場の拡大によるゲーム人気の高まりなど、娯楽の選択肢が増えていること▽経済的理由で子供の野球用具の購入費用が捻出できない-などが挙げられる。
日本高校野球連盟の調査結果によると、同連盟に加盟する47都道府県の高校の硬式野球部の部員数は01年の15万328人から、2021年は13万4282人に。中学軟式野球部の減少幅に比べると少なく感じるが、強豪校は100人以上の部員数を抱える一方で、一つの高校で部員が9人そろわずに他校との「連合チーム」で出場するケースが増えている。
野球を敬遠する、または高校野球を断念する理由の一つに挙げられるのが「坊主頭」の文化だ。坊主頭を強制している高校は少ないが、高校野球の伝統として、「暗黙の了解」で生徒たちが自主的に坊主頭にしているのが現状だ。大谷、菊池雄星を輩出した花巻東高が18年夏に丸刈りの強制を廃止した。このような取り組みをしている学校は増えているが、まだ多いとは言えない。
部員不足の事情で「坊主頭の強制」を廃止し、生徒の運命が大きく変わった高校がある。
栃木県の小山西高だ。
同校は2002年夏に甲子園に出場したが、3年前の2019年に部員数が1、2年生で計9人しか集まらない状況に。当時の琴寄元樹監督と、野球部長だった菊地詢現監督は話し合った。本当は高校入学後に野球をしたいと考える子供たちはいるはず。同校は生徒一人ひとりの自主性を重視する教育方針を掲げており、それまでは野球部員の髪型は丸坊主だったが、「校則に違反しない範囲で自由にする」に変更することを決断した。
現在は3年生が9人、2年生が11人、1年生が4人の計24人に。決して坊主頭を否定しているわけではなく、現在も坊主頭の部員もいる。菊地監督はこう言葉に力を込める。
「髪型を自由にした分、周りの見る目も変わってきます。だからこそ、意識を高く持たなければいけません。琴寄もそうですが、私は『自律』という言葉を大事にしています。不易流行で、高校野球の精神は大事にしつつも、これからは学校によって色々なカラーがあってもいいと思います。野球が好きなのに、高校で坊主頭が嫌で続けられなくなるのはもったいない。高校野球選びの選択肢を増やすためにも、坊主頭でなくても入部できる高校が増える方が良いと思います」
長打力が自慢の猪瀬優樹(3年)は小山西高を象徴する選手と言える。
中学では坊主頭を強制されるのが嫌だったため、野球部に入らなかったという。高校進学の際に小山西高の野球部は髪型が校則で定められた範囲内で自由だったのに加え、部員の主体性を尊重することに魅力を感じて入部した。身長180センチ、体重100キロ近い恵まれた体格で誰よりも遠くに打球を飛ばし、足も速い。実戦で4番を務めるなどチーム屈指の長距離砲として期待されている。
「彼のパワーは今まで見てきた選手たちの中でトップです。スイングスピードも速い。もし、野球部が坊主頭以外に認めないままだったら、猪瀬は入部しなかったでしょう。こういった生徒に高校野球ができる環境を与えることは、野球の素晴らしさを伝える意味でも重要だと痛感しています」
2019年夏。45年ぶりに甲子園出場した秋田中央高も部員たちの髪型が坊主頭でないことが話題を呼んだ。
当時の佐藤幸彦前監督(現秋田県教育庁保健体育課指導主事)は、こう振り返る。
「秋田中央高はブレザーにネクタイという制服なこともあってか、坊主頭に違和感があったんです。真面目な子供たちばかりで素直に言うことを聞くのですが、『右向け右』になってしまうのは良くない。私は野球でも極力指示は出さず、子供たちには自分たちで考えるように伝えてきました。主体性を身に付けてほしい意味を込めて、『坊主頭を見直すのはどうだろう』と提案しました」
佐藤前監督は自身が高校球児だった秋田高で91年夏に主将として甲子園に出場。2回戦・北嵯峨戦をサヨナラ勝ちで飾り、3回戦は全国制覇した大阪桐蔭と対戦。延長11回の末に3―4で惜敗したが、9回2死まで2点リードとあと一歩まで追い詰めた戦いぶりが大きな反響を呼んだ。教員として母校に赴任後、03年夏に甲子園出場に導く。16年に秋田中央に異動した。
同校は県内で強豪校として知られるが、甲子園にはあと一歩届かない時期が長く続いた。
「個々の部員たちの能力が低いわけではない。ただ殻を破り切れていないようにも感じていました。甲子園にいった前年も県内で負けた試合はすべて試合終盤でひっくり返された。色々思うことがあって、あのタイミングで伝えました」
19年4月。丸坊主の見直しを提案し、部員たちはミーティングを重ねた。髪を伸ばすことに賛同する声があれば、「高校野球イコール丸坊主だろ」と戸惑いの声も。1週間後に意見を集約して「丸坊主をやめます」と伝えられると、佐藤前監督も覚悟を決めた。「なぜ髪型を自由にするのか」と批判の声もあったが、毎年開催される恒例の保護者会で、坊主頭の強制やめる理由と部員たちが話し合って決めた経緯を説明して理解を求めた。
部員たちにはこう伝えたという。
「負けたら色々言われるよ。寝癖がついていればだらしないと思われる。自由というのは一番厳しいんだ。野球だけでなく、普段の身だしなみから自分で考えるべ。坊主頭のままでももちろんいい。でも髪型を考えることを放棄して坊主頭にするのはやめよう」
秋田中央高はその3カ月後に45年ぶりの甲子園出場を決める。もちろん、丸坊主の強制を廃止したから、快挙を成し遂げたと安直に結び付けてはいけない。ただ、髪型を自由にしたことが改革の転機になったことは間違いないだろう。佐藤前監督は部員たちの変化を口にする。
「見られる意識が高くなりましたね。きちんとした身なりにしようと心がけている姿勢が見える。坊主頭を強制しなくなったことについて、上級生から新入生に丁寧に説明していました。練習でも選手たちが自分たちの判断で一度プレーを止めて、話し合ったりする姿が見られるようになった。自主性は芽生えているなと感じましたね」
興味深いエピソードがある。甲子園に出場した19年夏。大会前に責任教師、監督、ベンチ入り選手全員が参加する抽選会で、地域別に座席が配置されているため北海道代表の旭川大高、岩手県代表の花巻東高、秋田県代表の秋田中央高と丸刈りを強制していない高校の集団が固まる光景に。周囲からは物珍しいものを見るような視線が注がれた。
佐藤前監督は旭川大高・端場雅治監督、花巻東・佐々木洋監督と練習会場などでこのような会話を交わしていたという。
「坊主頭でない子供たちが普通に見られる時代になるといいですね」
時代は移り変わる。坊主頭にしないことは高校野球の伝統を軽視しているわけではない。指揮官たちの願いが実現する時は、いつになるだろうか。
(取材・文:平尾類、編集:濵田理央)
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「坊主でない球児が、普通に見られる時代になれば」丸刈りやめた3校の監督、2019年甲子園で語ったこと