大型連休が終わった。
3年ぶりの「行動制限のない」ゴールデンウィーク、あなたはどう過ごしただろうか。
旅行に行ったという人もいれば、ずっと仕事だったという人もいるだろう。一方、連休で仕事が休みとなったことにより、いよいよ生活が厳しくなったという人も多いのではないだろうか。
さて、私はと言えば、この連休、ほとんどが「介護」で終わった。人間のではない。この夏で18歳となる愛猫・ぱぴちゃんの介護だ。
人間の年で言えばもう90歳近く。2年前から持病持ちとなり、定期的に病院に行っていたのだが、4月はじめ、盛大に調子を崩した。
それはなんの兆候もなく始まった。ある朝、目覚めると部屋中が血尿と吐瀉物と排泄物という「阿鼻叫喚3点セット」の状態になっていたのだ。
目覚めた瞬間、惨状を目にして血の気が引いた。寝ている間に夢遊病的なことになって人でも殺してしまったかと思うような光景だった。そうしてベッドの上を見た瞬間、息が止まりそうになった。そこには、横たわり、血尿を流しながらヒクヒクしているぱぴちゃんの姿があったからである。
ぱぴちゃんが死んじゃう! かっさらうようにぱぴを猫用リュックに入れ、顔も洗わず半泣きで動物病院に駆け込んだ。
その日から、ほぼ毎日動物病院通いが続いている。検査をしても、詳しい原因はわからない。その日を境にぱぴちゃんは一週間以上、自力で食べることも水を飲むこともできなくなり、病院での強制給餌だけがほぼ唯一の栄養源となってみるみる痩せていった。後ろ足も立たなくなり、自力での移動も難しくなった。一時は本気でお別れを覚悟したものの、連日の点滴と注射の甲斐あり、8日ほどした頃、自ら食べられるようになり、足腰もしっかりしてきた。それを見た瞬間は、涙が溢れた。
しかし、それからも一進一退が続いている。そうして介護が始まって、もう一ヶ月。
最初の頃は、心配で寝ていても数時間おきに目が覚め、そのたびに様子を見たり水を飲ませたりしていた。睡眠不足の日が続き、疲れからかものもらいまでできた。以来、「介護する方が倒れては大変」と体調管理につとめているが、生まれて初めて「介護の大変さ」を実感している。たかが猫の介護で「大変さがわかった」なんて「ふざけるな」と言われるのは百も承知だが、それでも、介護ってこういうふうに追い詰められていくのか、ということがよくわかる。
まず、朝起きると毎日のように部屋中が大惨事。最初の「阿鼻叫喚3点セット」ほどではないが、床は汚れているし、布団カバー、枕カバー、シーツはすべて洗濯しなければならない状態だ。不安になると、夜中に何度もぱぴちゃんがベッドに来るからなのだが、汚れるとわかっていても、不安そうに鳴いてベッドに入ってくるぱぴちゃんは驚くべき可愛らしさなのでとても拒否などできない。
そうして毎日、ベッド周りのものをすべてを取り替えて洗濯。床や猫トイレの掃除を終え、布団カバーなどもすべて新しくした途端、またぱぴちゃんがそこに吐いたり漏らしたりすることもある。
それだけではない。ぱぴちゃんは私を「猫トイレ」と認識するようになり、時々私の上でオシッコするようになった。あたたかい液体が膝に広がる感触は、ぱぴちゃんが子猫の時以来のもので、老いるとは、赤ちゃんの頃に戻ることと近いのだと発見した。そう思うとぱぴちゃんがより一層愛おしくなるのだが、そのたびに着ているものは全て洗濯だ。
毎日毎日、洗濯と排泄物の掃除に多くの時間を費やす日々。そしてふと思うのは、「これがいつまで続くのだろう」ということだ。終わりの見えなさ。これが介護する人を追い詰める。
それだけではない。薬を変えては少し良くなって、それでも効かなくなってを繰り返しているので、「明日は病院に行かなくていい日」と思っても、その日にやはり行かなくてはならないことも多々ある。そうなると自分の予定を変更することになる。また、病院も日によっては待ち時間が長く、半日潰れることもある。とにかく、「たかが猫の介護」でも大変なのだ。
それ以上に私にじわじわとダメージを食らわせているのが、「保険の効かないペットの医療費」だ。点滴と注射で一回行けば6000円以上。ちょっと検査をすれば会計は2万円近くになっている。毎回、医療費にビビりながらの通院だ。これ、私がフリーターの頃だったら絶対払えなかったよな……。いつもそう思い、「ペットの医療費と貧困問題」についても思いを馳せる。これに関する公的支援の可能性などについても思いを巡らせているが、まだ名案は出ていない。
と、いろいろありながらも、せっせと通院を続けている毎日だ。
しかし、今回の経験を通してよかったのは、自分の人生で一番大切なものがぱぴちゃんの命だと改めてわかったことだ。
2004年夏、子猫を拾ってぱぴと名付けてそろそろ18年。断言できるが、この年月、私を誰よりも支えてくれたのがぱぴちゃんだ。もし、ぱぴちゃんがいなかったら、最悪、生きていなかったかもしれないとも思う。
特に3年前、ぱぴちゃんが来て一年後に迎えた猫のつくしを14歳で亡くしてからは、ぱぴちゃんの存在はより大きなものになった。
と、ここまで書いて、つくしの介護もそれなりに大変だったことを思い出した。
リンパ腫であっという間に亡くなったつくしの介護は実質一ヶ月ほどだったけれど、思い起こせば、あの頃も毎日何度も洗濯していた。
つくしは元気な頃から私のベッドにいるのが大好きで、弱って動けなくなってからもずっとそこにいたからだ。立ち上がってトイレに行く体力もなくなったつくしの下にはいつもペットシーツを敷いていたものの、時々どうしてもズレて布団を汚してしまう。そんなことが何度かあり、私は布団を家の洗濯機で洗えるものに替えた。これから猫の介護を控えている人は、ぜひいくつか「丸洗いできる布団」を買っておくことをオススメしたい。
ちなみに布団の洗濯に追われたのはつくしだけが原因じゃなかった。つくしの看病に追われて構われなくなったぱぴちゃんは、「つくしのように布団でオシッコしたら構ってもらえる」と思ったらしく、わざと布団でなさるようになったのだ。そうして洗濯物はまた増えた。本当に、なんて賢い子なのだろう。
さて、そんなふうにつくしを思い出しつつぱぴちゃんの介護をしていた連休中、うちに届いた『創』6月号を開いて胸が痛んだ。
この号には、ウクライナ入りしている綿井健陽さんのインタビューと、同じくウクライナ取材をしている志葉玲さんの原稿が掲載されており、生々しく凄惨な現地の報告に言葉を失ったのだが、カラーページには、ウクライナのペットたちの写真が掲載されていたからだ。
ロシア軍に殺害された飼い主を待ち続ける秋田犬(綿井健陽氏撮影)。
キーウ近郊のブチャで、破壊された街をさまよう猫(志葉玲氏撮影)。
戦争で、もっとも犠牲になるのは子どもや女性など弱い立場の命で、そこには間違いなく、動物たちも含まれる。
思えば2月末にロシアによるウクライナ侵攻が始まった際、避難する人々の中には犬や猫を抱える人たちの姿があった。
ぱぴちゃんに毎日点滴が必要になった時、まず思い出したのはその時の光景だ。今、私が同じ状況に陥ったら。毎日通院が必要な高齢の猫を連れ、車の免許すらない独り身の私が、果たして避難などできるのだろうかと。
心配はそれだけではない。そもそも、戦時中という非常時に「猫が病気で」なんて口にできるだろうか。そんなことを言ったら「この非常時にふざけるな」「国のために命がけで戦っている人がいるというのに何が猫だ」なんて言われるのではないか。
戦時に、猫という「戦争の役に立たない」存在について口にすることが憚られる空気ができること。そんなことを口にしたら「非国民」と言われそうな圧力が高まること。そう思うと、背筋がすっと寒くなる。
批判に晒されるのは、おそらく猫だけではない。一度「猫が病気で」と言えない空気になってしまったら、「子どもが病気で」「家族に障害があって」「親が高齢で歩けなくて」などと言えなくなるまでは、ほんのわずかではないだろうか。
第588回の「戦争と障害者」で、荒井裕樹さんの本を紹介した。そこで書いたように、「『役に立たない人』を吊るし上げることが『愛国表現』だと勘違いするような人たち」がわんさか登場するのが戦争だ。
このことを、私は決して忘れたくないと思う。そして猫をはじめとする、戦争に役立たないけれど大切な存在を、ちゃんと大切にしたいと思う。弱く小さな命が無下にされないこと。そのことが、巡り巡ってみんなの命を守ることにつながると思っている。
最後に。この原稿を書いている最中、やっと合う薬が見つかり、ぱぴちゃんの症状は快方に向かっている。
私たちはもう少し、一緒にいられそうだ。そしてこのままいけば、ぱぴちゃんは18歳の誕生日を迎えられそうである。
生きていてくれるだけでいいと思える存在がそばにいること、そしてその命を大切にできる「非常時でない」今のありがたさを、しみじみと噛み締めている。
(2022年5月11日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『第593回:猫の介護から考えた「戦争」。の巻(雨宮処凛)』より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
弱く小さな命が無下にされないように。猫の介護から考えた「戦争」