重病で入院していた幼少期、病室で勇気づけてくれたウルトラマンの特大フィギュア。それは母親が必死に探し回ってくれたものだった。
「ウルトラマンが助けに来たよ。一緒にお家に帰ろう」という母親の言葉に背中を押されて、「死ぬ寸前」だった状態から回復して無事に退院できたという。
そんな思い出がTwitterに投稿され、「最高のエピソード」「ウルトラマンとの絆が呼んだ奇跡ですね」「ウルトラの母は実在した」などと大きな反響を呼んでいる。
話題のツイートをしたのは、関東在住の「なつきハマーンカーン」さん(@hiyolukonton)。4月19日に「ウルトラマンと私 嘘偽りないノンフィクションです」として、画像ツイートで思い出を綴った。23日現在で1万件以上の「いいね」が付いている。
ハフポスト日本版は、なつきさんに取材して詳しい話を聞いた。画像ツイートを元に補足すると以下のような内容だった。
時期は1990年代、なつきさんが4〜5歳のころだったという。酷い小児喘息で入院している最中に肺炎になり、それが更に悪化。「死ぬ寸前だった」と本人は振り返った。
「お子さんは危険な状態です」と病院から伝えられた母親は、なつきさんに「何か欲しいものはない?何でもいいから」と問いかけたという。なつきさんは「大きなウルトラマンの人形」と答えた。
近所のショッピングモール内の玩具店の店頭には、子どもの背丈ほどある初代ウルトラマンの特大フィギュアが飾られていた。なつきさんはそれがずっと欲しかったのだという。母親は特大フィギュアを購入するために、何十軒の玩具店に問い合わせたが「ディスプレイ用の為お売りできない」と断られた。
そこで、母親はウルトラマンを制作した円谷プロダクションに直接連絡。「うちの子がいつ死んでもおかしくない状態なので、大きなウルトラマン人形を作っていただけないでしょうか」と懇願したが、円谷プロからは「考えさせてください」と言われて以降、連絡がなかった。
しかし、ある日、円谷プロから自宅に大きな箱が届いた。中には、なつきさんの念願だったウルトラマンの特大フィギュアが入っていた。円谷プロからのサプライズだったのかもしれない。
当時のなつきさんの身長と同じくらいのフィギュアが、病室に置かれることになった。店頭に飾られていた物よりもしっかりとした作りで「テレビ画面から出てきたんじゃないかと思うほどの完成度」だったという。
「多分!あのウルトラマンが来てくれなかったら私はこの世にいなかったかもしれません『ウルトラマンと一緒にお家に帰ろう』とママーンが言い続け力強く横に立つウルトラマンのおかげで今があるんじゃないかと」
なつきさんは画像ツイートの中で、そう振り返った上で、母親と円谷プロへの感謝の言葉でメッセージを締めている。
「あの時!対応してくれた円谷プロの方々 必死に探してくれたママーン 本当にありがとうございます!」
ハフポスト日本版が、なつきさんに取材したところ、今回のエピソードを投稿したきっかけは、5月13日に『シン・ウルトラマン』が劇場公開されるのを楽しみにしていたことだったという。
自分にとって「ウルトラマンの思い出ってなんだろう」と振り返ったのだという。1万件を超える「いいね」が付くなど大きな反響があったことについては「正直驚いています。『こんな事あったな』くらいの気持ちで投稿したら、沢山の方に見ていただけた上に、『感動した』などのコメントを頂き、感謝です」と綴った。
特大フィギュアに関して、なつきさんは「多分、値段の付けられない物だとは思いますが、実際には15万くらいお支払いしたみたいです」としている。
闘病生活を乗り越えられたのは、ウルトラマンの特大フィギュアのお陰だと信じているとして、母親の言葉も背中を押してくれたと振り返った。
「ウルトラマンが助けに来たよ。一緒にお家に帰ろう」
―― 今回、幼少期のエピソードを投稿しようと思ったきっかけは何だったでしょう?
5月公開の『シン・ウルトラマン』を私も劇場で見たいなーと思っていました。そんな時、ウルトラマンの思い出ってなんだろうで思い出し何気なく投稿した感じです。
―― 当時好きだったウルトラマンはどの種類でしたか?
病院に居る時間が長かったので何がリアルタイムだったのかは覚えてませんが、当時好きだったウルトラマンは、1番最初のウルトラマンやセブン、エース、ジャック、タロウなど俗に言うウルトラ6兄弟の作品が好きでした。
―― フィギュアに関しては、お母様が円谷プロに掛け合ったということですが、いくらぐらいで購入されたのでしょうか?
多分、値段の付けられない物だとは思いますが、実際には15万くらいお支払いしたみたいです。
円谷さんに電話して最初は門前払い寸前。一般の家庭で更に私が長期に渡り入院していたので資金も大して無かったそうです。母もかなり前の事で記憶が曖昧みたいで予算を10万でお願いしたら『それじゃ作れませんよ』と言われたけど、涙ながらにお願いしたところ 円谷さんが『考えさせてください』と。それから連絡なくて母的にはやはり無理だったのかなと思っていたら、家に大きな箱が届き、中にウルトラマンが入っていたそうです。
ウルトラマンを私に渡した後に円谷さんに直接お金を渡しに行ったそうです。今思うに円谷さんからのサプライズだったのではないかと。金額的には10万ちょっとだったらしく、母は15万円を渡してお釣りは受け取らなかったとのことです。
―― 届いたウルトラマンのフィギュアは、無菌室の病室に置かれたのでしょうか?
無菌室内です。当時の私は分かりやすく言うと、骨と皮だけみたいに痩せ細っていて、立ったり起き上がったりも出来なかったので、来た当初は私の横に寝ている感じでした。その後は、ベッドの横に立ててもらいました。
―― 無菌室内は基本的に物品の持ち込みはNGだと思うのですが、ウルトラマンの持ち込みにOKが出たことに何か心当たりはありますか?
多分、「無菌室で子供1人」という感じでしたので病院側の配慮だったと思います。病院側もこの子は助からないかもという感じみたいでしたので。
―― 届いたウルトラマンの大きなフィギュアを見たとき、どのように感じましたか?
実際にウルトラマンが目の前に来たんじゃないかという感覚に近かったです。無菌室なので少数の人としか会わず、時間も朝か夜かも分からない部屋で、唯一ウルトラマンの映像や絵本を見ることしか出来なかったので。
―― 闘病生活を乗り越えられたのは、ウルトラマンのフィギュアのお陰だと感じていますか?
私はそうだと信じています。母の言葉も背中を押していたとは思います。『ウルトラマンが助けに来たよ。一緒にお家に帰ろう』と言っていましたから。
―― 病室でウルトラマンと過ごしていた期間はどれくらいでしたか?
無菌室に居た時に置いてあったので、病状が徐々に回復して子供病棟に移る際には家に持って帰ったと思います 。期間的には半年くらいでしょうか。当時なんせ5歳くらいで死にかけていたので記憶が曖昧で。その後は母が『お家でウルトラマンが待ってるから早く病気治してお家帰らなきゃね!』と言われたことを鮮明に覚えています。
―― 今回のツイートは1万件以上の「いいね」を集めるなど大きな反響が広がっていますが、どのように感じていますか?
正直驚いています。「こんな事あったな」くらいの気持ちで投稿したら、沢山の方に見ていただけた上に、「感動した」などのコメントを頂き、感謝です。唯一投稿した文の最後が、私自身が実際に皆さんに伝えたかった内容になっています。
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「ウルトラマンが助けにきたよ」病室に届いた特大フィギュアは、母の愛の結晶だった