40歳の誕生日を迎えてすぐ、私は久しぶりの休暇を家族と楽しみ、最高な日々を過ごしていた。1日中ビーチで過ごし、夕食の時間になってもみんなで水着のままのんびり寛いでいた。
そんな時、フィットネスの話題になった。何年もの間、ダイエットによる減量とリバウンドを繰り返し、食事に気を配り、自分を様々な暴言で責め立てたりもしたが、ようやく心身共に健康な状態になった。
明るいピンクのビキニを着て、クールで最高な気持ちだった。その気持ちを祝福するため、この気持ちを家族に伝えた。
「今の私、これまでの人生でベストな体型だと思う」
しかし、その高揚した気分は一瞬で打ち砕かれた。
「それは違うでしょ。脚のセルライト見たよ」と弟が嘲笑った。
私の顔はすぐに赤くなった。ショックで、恥ずかしくて、そしてムカついた。弟の妻はすぐに、その無神経で失礼な発言をした彼を非難した。
怒りに煮えたぎっていたが、同時に申し訳なくも感じた。義理の姉が私の代わりに反論してくれていたから。弟のコメントを家族全員が聞いていたことも嫌だった。そして、私の子どもたちがこの酷いやりとりを目の当たりにすることになったことも辛かった。
私の最初の直感は、この出来事を軽く跳ね除け、みんなの感情を鎮め、楽しい夜を取り戻すことだった。15年前の私なら、そうしたと思う。でも、40歳の私は、目に見えない女性へのプレッシャーを背負うことにこりごりしていた。
そんな私は、セルライトは私のフィットネスレベルや自尊心には関係なく、私はセルライトがあっても健康で美しいと言い放ち、弟を黙らせた。
これまで何年もの間、私は自分のボディイメージと戦ってきた。だから、歳を重ねることへの不安は私にとって何も新しいことじゃない。でも、もし子どもたちがシワやセルライトは「悪い」と思って育ったとしたら、それは悲しい。
子どもの時、私は歳をとるのことに不安を感じていた。母が鏡の前で自分の容姿の粗探しをしていたのを覚えている。肌のたるみやシワを気にしていた母に、私はよく「キレイだよ」と声をかけていた。
すると母は、「自分が経験するまで、理解できないでしょうね」と言った。
彼女は正しかった。
38歳になった時、私は閉経周辺期の兆候に気付き始めた。突然、食事や飲み物も含め、ライフスタイルを変えることを余儀なくされた。そして突然、体の変化にも気づき始めた。それまでたるんだことのなかった部位の肌がたるみ、今までなかったところにシワが現れ、深くなっていった。
キレイな髪、柔らかな肌、そして丈夫な骨に別れを告げ、落ち込みながら鏡を見ると、当時の母の姿が目に浮かんだ。
こうしたコンプレックスに打ちのめされているのは母だけではない。585億ドル規模のアンチエイジング・ビジネスが、このような悩みから巨額の利益を得ている。
「若々しい容姿を手に入れたいでしょ?」と、どのアンチエイジングクリームも訴え、画像修正されたモデルの写真は「私みたいにシワのない肌が欲しいでしょ?」言う。そして社会は「望まれる美しい姿が欲しいでしょ?」と問いかけてくる。
2021年、歌手で俳優のジェニファー・ロペスと昔人気だったドラマ『ゴールデン・ガールズ』の俳優ルー・マクラナハンを比較した画像が話題になった。2人とも50歳だが、ルーは昔ながらの「母親らしい」容姿である一方、ジェニファーはシースルーとスパンコールの衣装で舞台のポールにつかまっていた。
この比較画像を見て、私は憤慨した。ほかの何よりも「若く見える」ということを基準に女性を称賛することを選んだことを。そして、加齢という自然でコントロールできないことで、女性同士を対立させ続けていることを。
38歳から40歳の間、私は優雅に歳を重ねることで、自分を落ち着かせていた。容姿の変化を恐れず、それを受け入れ、自信を持とう、と。しかし、「優雅」であろうがなかろうが、歳はとっていく。そして当時の母と同様に、私も鏡の前で歳を重ねる自分の粗探しを続けていた。
私は、加齢は良くないことだと思っていた。だって、私が小さな頃からずっと、メディアがそう言っていたから。ある一定の年齢になると、社会は女性を排除するから。男性俳優のシワは「渋い」とか「風格がある」とか言われるのに、女優はボトックスや画像修正されるから。歳を重ねた女性がポジティブに表現される場所がないから…。
私から年齢を取り除いても、私は起業家でビジネスオーナーであり、女性を成功に導く有能なコーチだ。元気ハツラツとした人間で、友達、母親、パートナーでもある。
こうした加齢への不安が頭に浮かんで私を飲み込みそうになるたび、「それは真実ではない、もうこりごりだ」と思い出し、気をつけるようにしている。
また、ネット上で自分が触れるものも厳しく選別し、私を制限するのではなく、気持ちを高めてくれるようなコンテンツを選ぶようにし始めた。
そして、男性からの視線を感じなくなると、社会から期待される「魅力的な容姿」や「生殖機能」の対象から離れ、解放感を得ている自分に気づいた。この自由は、新たな自立の感覚を奮い立たせてくれた。
老いを心配することは、自分の若さを奪っていることにも気づいた。私はその不安のために、時間、お金、自信、そしてエネルギーを失っていた。なんでセルライトやストレッチマーク、たるんだ肌やシワを隠す必要があるの?私をこれまでずっと支えてきてくれたこの体がどう見えようと、それは私の勝手だ。
加齢を自然の摂理と受け入れることは、女性としてできる最もパワフルな事のひとつだ。社会からの期待の波から抜け出すことで、私はより大胆で、強く、自信を持てるようになった。ただ黙って座っていないで拍手を返したり、小声で言い訳をつぶやいてないで自分の信念のため立ち上がっている。
アンチエイジング産業を拒みはじめてから、私の中にあった「加齢差別」は溶けて消えていった。今や、体の加齢に幸せを感じるどころか、自然に従い、体が進化していくのが楽しみでならない。
それでも、不安になる時もある。鏡の前で、疑視しすぎる時なんかはそう。でも、他人を思いやりるように、自分にも優しく接している。私は、私という1人の人間とこれまでの人生を誇りに思い、これからもたくさんの経験が待っていると自分に言い聞かせながら。
ハフポストUS版の記事を翻訳、編集しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
シワもセルライトも隠すのをやめた。40代の私が若さへの執着を捨てて手に入れたもの