モノが多すぎた我が家がミニマリストに挑戦。すると、人生が変わった。

最近まで、我が家はモノに溢れていて、私たちの予定もびっしり詰まっていました。毎日、散らかったものをかき分けながら、次から次へとやることをこなしていました。私は常に圧倒され、息苦しさを感じ始めていました。

そんな時、新型コロナウイルスが登場し、全てが急停止したのです。

世界が止まった日、それは私の家族にとっての分岐点になりました。立ち止まることを余儀なくされたその時、これまでの人生を整理し、優先順位の見直しをすることにしたのです。

パンデミックは多くの人に、悲劇や分断、破壊をもたらしましたが、私たち家族にとっては、ひらめきをもたらすキッカケになりました。カオスと先行きの見えない状況は、私たちにのしかかっているモノを家や生活から取り除き、簡素化する必要があることに気づかせてくれました。

大きな変化を起こす時が来たのです。

私たちの生活にある全ての余分なモノやコトに対処するベストな方法は、ミニマリストの考え方と生き方を取り入れることだと決めました。ミニマリズムは、機能と目的に重点を置き、基本的なモノだけ残し、それ以外は全て排除することです。

私たちはまず、家から始めました。

モノを分解して中身を見るのが大好きな次男のおかげで、我が家にはものすごい量の(そして殆どが壊れている)おもちゃがありました。そして、子どもたちはその殆どと遊んでいない(または感謝していない)ことに気づきました。きっとそれは、おもちゃの数が多すぎること、そして常に追加していたからです。そこで、子どもたちに手伝ってもらいながら、大量のおもちゃを袋に詰めました。

おもちゃの整理に刺激され、家の残りの部屋にも取りかかりました。

最初は、何年もかけて集めたものを「必要」「不要」と分別するのに苦労しました。でも一度調子に乗ってくると、夢中になってくるんです。例えば、殆ど使われずに引き出しに眠っていたズッキーニスライサーを処分したり、可能であれば寄付したり。やればやるほど簡単になっていきました。本当に大切なものが分かればわかるほど、不要なものも明確になりました。

部屋を片付けた後、そのガラクタの山を見つめて「なんで何年も前にやらなかったのだろう?」と首を傾げました。

次はクローゼット。10年間も着ていない服が貴重なスペースを占領しているのには腹が立ちました。「ワーキングマザーとしての私の人生とはこうあるべきだ」という先入観を捨て、今の自分の現実と向き合わせてくれました。私は在宅で仕事をするライターであり、アスレイジャーファッションを愛する母親で、10年前に会社勤務していた際着ていたペンシルスカートやスーツは今や不要だったのです。

ミニマリズムは、単に最小限のモノを持つことだけではありません。確かに「Less is more」の美学があり、私たちもそれを取り入れましたが、その核心は自分にとって本当に大切なモノだけにお金とエネルギーを費やすこと。私たちにとって、ミニマリズムは意図に基づくライフスタイルを送ることなのです。それは実際のモノだけでなく、人との関係、活動も含みます。家を断捨離することは素晴らしいですが、私たちの生活には他にも整理が必要な領域があることに気づきました。

我が家は共働きで3人の子どもがいて、毎日スポーツや課外活動、学校行事などでいっぱいでした。そこで、私たちが本当に楽しくて好きだと感じる活動だけに絞り込む必要がありました。子どもたちはそれぞれ好きな活動を2つずつ選び、それ以外は辞めました。そうすることで、自分が1番楽しいと思えることに集中できるようになり、結果的に、手広く様々なことをやる必要がなくなりホッとしたようです。

私は、自分の時間の使い方を真剣に見直しました。以前は「良い母親」とはPTAに積極的に参加することだと思い込んでいました。でも正直なところ、PTA内の政治やいざこざに疲れ、しかも手先が不器用な私は自分を「役立たず」と感じていたので、今年は参加を見送りました。そしてそのことを本当に良かったと感じています。今でも子どもたちの学校と関わってはいますが、より生産的だと感じられる新しい方法で行っています。

また、いくつかの人間関係が有害だと気づき、関係改善に取り組んだり、修復不可能なほど機能不全に陥っている関係は終わらせることにしました。私たち家族の新たなミニマリズムによって、この友情には毒性以外の何も残っていないことに気づき、解放されたのです。

私たち家族の優先順位の見直しから、子どもたちが人生の大切な教訓を学んでくれることを願っています。何かを買えるからといって、買うべきとは限らないということを理解してほしいのです。何かができるからといって、しなければいけないわけでもありません。幸福とは、内面的な状態のことで、買ったり獲得したりできるものではない、と考えてほしいです。

広告主は、私たちが幸せになるには常に新しいものを買う必要があると信じさせるようなアメリカンドリームを売るため必死です。このように信じ込まされた消費主義は、私たち人間本来の「常にもっと欲しい」「最新版の自分でいたい」という欲求に根を張っているようです。でも、私たちがその競争を離れ、私たちに染み込んだ消費主義の社会的圧力に別れを告げたらどうなるでしょうか?

多くのモノから解放された生活は、精神的にも自由で、お金やエネルギー、時間の節約にもなります。それに、あまり使っていない日用品やおもちゃ、着られなくなった子供服を家庭内暴力からの保護施設に寄付したことは、大きな満足感を与えてくれました。

このライフスタイルは万人向けではないことはわかっています。実際、子ども同士を遊ばせるため我が家に来る人たちはいつも困惑して、「えーっと、子どものモノはどこにあるの?」と怪訝そうに聞いてきます。私がおもちゃ、パズル、画材、本でいっぱいの3つのバケツを指差すと、彼らはさらに混乱するようです。「子どもが3人もいて、これだけしかないの?」と。

子どもたちがどんな反応をするか、少し不安でした。最初は、自分たちのものが寄付のため箱にたくさん詰められていくのを見てゾッとしたようです。でも時間が経つにつれ、子どもたちは新しい生活様式に驚くほど順応していきました。無限にあったおもちゃが恋しいとは思っていないようです。結局、おもちゃに溢れかえった部屋であれ、数少ないおもちゃであれ、あるものに慣れ、それが普通になるのだと思います。

今、子どもたちは砦を作ったり、ボールで遊んだり、庭で追いかけっこをして遊んでいます。今でも遊ぶものも読むものも十分にあり、決して不自由しているわけではありません。あるものに感謝するだけでなく、想像力を発揮してくれることを願っています。

これからは、動物園にいったり、美術教室、お気に入りのスポーツチームの観戦チケットなど、物質的なプレゼントより経験に重点を置きたいと思っています。8歳の息子はエルトン・ジョンが大好きなので、今度の誕生日には、彼のコンサートに連れていく予定です。

私たちのミニマリズムの冒険は、シンプルながらも、かけがえのない大切な教訓を教えてくれました。モノを持つことや忙しく過ごすことよりも、人と充実した時間の方が大切だということ。長年かけて私たちが蓄積してきた物質的なモノは、ほとんどが意味のないゴミで、私たちの多くの活動は、喜びでなくストレスをもたらしていたのです。

今、私たちの生活にはストレスも心配も全くありません…と言いたいところですが、そうではありません。以前と同じような多くの問題に直面していますが、違いは、ゴミや「ゴミ」に近いものを選別する効果的なシステムがあることです。それによって、大切な人、活動、モノなど、なしでは生きられないような必要不可欠なものだけが残るのです。

ガラクタや不安に足をとられることが減るため、手放しやすくなり、目線を変え、目的を持って人生を歩むことができるようになるのです。重要でないものを全て取り除き、必要不可欠なものだけを残すと、価値観に沿った生活に集中することができ、余計なものの為のスペース作るための妥協をしなくなりました。

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【筆者】クリスティーナ・クロフォードはライターで、ワカモレ愛好家、そして心気症患者。夫とワイルドな3人の男の子たちと一緒にアメリカのダラスに住んでいる。彼女の執筆記事は、Newsweek、Health Magazine、Parents、Scary Mommy、Today Show Parentsなどに掲載されています。ツイッター、@Xtina_Crawford でフォローすることができる。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集・加筆しました。

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モノが多すぎた我が家がミニマリストに挑戦。すると、人生が変わった。

Christina Crawford