よろこび、寂しさ、ワクワク感、悲しさ、落ち込み、愛しさ、恥ずかしさ、怒り…。今、あなたはどんな気持ちですか。
自分の感情を、立ち止まって感じてみたことはありますか。
わたしたちは日々さまざまな感情を抱きます。でもそれをひとつずつじっくり観察したり、どんなものかと分析してみることはほとんどないかもしれません。あっという間に過ぎ去っていく感情もあれば、長い間ずっと心の中に残っているものもあります。時には感情が独り歩きして、周りの人を驚かせたり、傷つけてしまうこともあります。それに自分でも驚くこともあります。
よろこび、悲しみ、寂しさなど、言葉にしてみれば、たしかに日々色々なことを感じているかもしれないけれど、自分が感じていることを、少し離れたところから眺めてみることはあまりないかもしれません。むしろ、何となくやり過ごしてしまうことが多いような気もします。
感情という言葉を検索してみると、「感情を表に出さない」とか、「感情をなくす」という言葉が出てきたり、「感情をコントロールできない人は…」という表現が出てくることもあります。わたしたちはもしかすると、感情と向き合うよりは、なるべくそれをないものとしてひそかに処理してしまいたいと思っているのかもしれません。
今回紹介する絵本は、子ども(と大人)が自分の感情に向き合うお話です。デンマークでは、近年、保育園や小学校低学年の子どもたちが、感情について言葉や表情、演劇などを通して知り、学ぶ機会が増えているようです。図書館でも保育士さんや学校の先生から定期的に感情を扱った絵本を求められることも多くありました。その影響からか、幼い子ども向けにも感情をテーマにした絵本が増えている印象があります。
イグノラは古い貯水塔にひとりで暮らす女の子。ときどき、近所のねこやいぬたちが、イグノラに会いにやってきます。そんなとき、イグノラはどうぶつたちのせなかをやさしくなでて、ミルクをあげます。
イグノラの暮らす貯水塔のとなりには、魚屋のおじいさんのお店があります。ときどき、イグノラは魚屋からこっそり魚をもらって、ねこに食べさせてやります。
Frøken Ignora eksploderer より
お話はここで終わります。
突然終わってしまうので、読者は取り残されたような気分になります。このあと、イグノラと魚屋のおじいさんがどんな会話を交わすのか、イグノラにこれからなにか新しいことが起こるのか、なにもわかりません。読者にできるのは、怒りを爆発させた過去の自分を思い出し、自分の心にはどのぐらい傷があるかなと思うことかもしれません。怒りを爆発させるということは、ただ発散しているだけのようでも、実はそこに悲しみを伴っているのだと気づけることかもしれません。
怒り、悲しみ、苛立ちなど「ネガティブな感情」と呼ばれるものを、普段、わたしたちはなるべく表に出さないようにしています。人前で泣いたり、怒ったり、イライラした気持ちを表したり、嫉妬心や競争心をむき出しにするなんて恥ずかしい(これもまた感情)と、なるべくそうした気持ちを心の奥へと押しやって見ないようにしたり、早く消えてくれと願うことも多いのではないでしょうか。
ときにはそんな感情を抑えきれずに爆発させ、イグノラのように周りの人々を驚かせたり、怯えさせるかもしれません。ネガティブな感情をないものにする、あるいは発散する、どちらの方法を選んだとしても、結局、わたしたちはこの感情とうまく付き合えていないのかもしれません。
イグノラのお話は、こうした怒りや苛立ちと向き合うことの難しさ、そして、そんな自分に寄り添うことの大切さを教えてくれます。
本を通して、ある感情について知り、向き合う。それは一見、自分自身と向き合うためのようでいて、同時にまた、周りの人々にも同じような感情があることを理解し、共感できる機会にもなるでしょう。幼い頃からこうした機会があることは、今の時代、とくに大切なことなのかもしれません。
(2022年1月4日のさわひろあやさんのnote掲載記事「物語を通して自分の感情と向き合う」より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
物語を通して自分の感情と向き合う