心拍などを測る機械が「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴る音と、人工呼吸器から漏れる“息遣い”。
生まれてすぐに「脳死に近い状態」と宣告された西村帆花(にしむら・ほのか)さん(14歳)が両親に見守られながら成長する姿を描いた映画『帆花』では、帆花さんのかなでる「いのちの音」が優しく響く。
「帆花は人工呼吸器に生かされているという人もいる。でも、そうじゃない。彼女は自分の意思で命を精一杯生きています」と母・理佐さんは言う。
命とは、生きるとは、何か。
帆花さんは観る人に静かに、そして真っ直ぐと問いかける。
12月下旬、関東近郊のマンションに暮らす西村家を訪ねた。
「ほのか、お客さんがいらっしゃったよ」。理佐さんが、帆花さんのいるベッドに案内してくれた。丸くて小さな手に触れさせてもらうと、じんと温かな体温が伝わってきた。
帆花さんが生まれたのは、2007年10月17日。出産直前にへその緒が切れてしまったため、脳に酸素が行き届かず、仮死状態で生まれた。
医師からは「脳波は平坦、萎縮も始まっている。目は見えない、耳は聞こえない。今後目を覚ますことも、動き出すこともありません」と告げられた。
一方で、帆花さんの誕生にはこんな“秘話”もある。
お腹から取り出されてすぐに新生児集中治療室(NICU)に運ばれた帆花さん。しかし、帆花さんを一目見た医師や看護師からは意外な言葉が漏れた。
「この赤ちゃん、かわいいね」「そう、かわいいのよ」
その場に居合わせた看護師さんはその時、「この子は多分生きるな」と直感したという。
その看護師さんがのちのち、理佐さんに聞かせてくれたストーリーだ。
「生死をさまよいながらも、悲愴感(ひそうかん)がなかったんでしょうね。きっと本人は生きることしか考えていなかったんだと思うんです」。理佐さんは笑いながら振り返る。
そして、帆花さんのそんな「生きる意思」が、当時真っ暗だった理佐さんの心を照らしていく。
「なんで元気に産んであげられなかったんだろう」。帆花ちゃんを産んでから、自分を責め続け、うつ状態となった理佐さん。夫・秀勝さんとは、人工呼吸器を「外してください」といつ申し出るかと涙ながらに話し合う日々が続いていた。
しかし、帆花さんの面会に行くと、娘の保育器のまわりが不思議と明るい光に包まれているように感じられた。「帆花」と呼びかけると、「お母さんよく来たね」と母親である自分が逆に暖かく迎えられるようだった。
「そんな毎日を繰り返しているうちに『私、何をやっているんだろう』って思ったんですね。帆花は生まれてすぐに母親から離れても、こんなに頑張って生きている。それなのに私は『元気に産んであげられなかった』ということばかりにとらわれていた。娘は自分の人生を歩み始めているのだから、私は自分の悩みで目を曇らせていないで、娘の生きる意思を支えていくことが『母親になる』ということなのではないか。帆花にそう気付かせてもらったんです」
夫婦は帆花さんを家に連れて帰るという気持ちを固める。生後9ヶ月、帆花さんは晴れて退院をし、家族3人での暮らしが始まった。
映画『帆花』は、当時3歳だった帆花さんが特別支援学校の小学部に入学するまでの3年間を描いたものだ。
家族で動物園に遊びにいったり、秀勝さんが夜寝る前の帆花さんに本を読み聞かせたり、誕生日には家族でケーキを囲んだり、温かな家族の日常風景が淡々と描かれる。一家を訪れる親戚や友人も絶えない。「ほのちゃん」と帆花さんの手に触れ、話しかける。そこに笑顔がほとばしる。
一方で、映画では、理佐さんが「世の中に私と帆花の2人きりみたいな気分になる時がある」と葛藤を覗かせるシーンもある。
撮影から約7年。理佐さんは当時を振り返って、「幸せな日々だったけれども、やっぱり辛かった」と話す。
病院で教わったケアでは十分でなく、帆花さんが体調を崩し救急搬送されることも幾度があった。「帆花の命を守っていくケアの方法を私がちゃんと見つけなければ」。重い責任を感じた。
そして、自分なりに意思を伝えているように見える帆花さんを目の当たりにするたびに、「脳死に近い状態」という医学的見解との「乖離」にも葛藤した。
「娘は確か生きている。にも関わらず、臓器の一つに過ぎない脳の機能が失われている状態に対して“死”という文字がつけられてしまうことには、とても苦しめられました。人間が生きているってどういうことなのかという偉大な哲学者も答えが出せないような問いに、日々せっつかれているような気持ちでした」
しかし、そんな葛藤を抱える理佐さんの傍らで、帆花さんはすくすくと成長していく。
次第に、人工呼吸器から空気が漏れるリークという音を調整して“声”を出すなど、意思や気分をはっきり伝えるように感じられたという。
映画にはこんな一幕がある。
帆花さんが入学式に着るドレスをパソコンで探す、理佐さんと秀勝さん。帆花さんに「どう?」と紺色のシンプルなドレスの写真を見せるが、無言のまま。ところが「もっとフリフリが良いの?」と聞くと、帆花さんは「うー」と“声”を出して反応する。夫婦から笑いがこぼれた。
※「脳死」について
帆花さんは「脳死に近い状態」であり、「脳死」と正式に診断されたことはない。日本では、脳死かどうかの判定は臓器提供を前提として行われる。また、判定自体も身体に過度な負担がかかる検査を含む。
帆花さんは現在、14歳になり、特別支援学校の中学部に所属している。
帆花さんの体重が重くなったり、学校の関係で平日のスケジュールが忙しくなったりして日々のケアの負担は増えたが、かつて理佐さんが抱えていた葛藤は過去のものとなりつつある。
「普通のお子さんもそうだと思いますが、帆花も、学校入学などライフイベントにともなって、クリアしなければいけない沢山の壁にぶつかってきました。でも、その一つ一つをきちんと乗り越える姿を見てきて、帆花はちゃんと出会いや経験を積み重ねて生きているんだという確かな信頼が持てるようになりました。気付けば、以前のような葛藤はもうほとんど意識にのぼらなくなっていましたね」
最近、帆花さんは、血中の酸素濃度を測るサチュレーションモニターのアラームを操ることで、気分や意思を伝えることも覚えたという。本来なら酸素濃度が下がると青白い顔になるはずだが、帆花さんの顔色には何ら変化がない。最初は偶然かとも思ったが、次第に、意図的にアラームを鳴らしていることに気づいたと理佐さんは話す。
週3回の訪問授業では、特に関心が高い「海の生き物」や「環境問題」など理科系の話題が出てくると、喜んでアラームで反応するという。
「『先生遅いから早くして』とか『嫌だ』と伝えるためにアラームを鳴らすこともあります。そういうマイナスな感情って相手に対して伝えにくいものですが、彼女はそれを嫌味なく言ってくれる。母親ながらすごいなと思っています。本当、子どもって親の知らないところで自ら育っていくものですね」
理佐さんは、ベッドにいる帆花さんに誇らしげな眼差しを向けた。
映画は、当時映画学校の学生だった國友勇吾監督が卒業制作として撮り始めたものだ。
理佐さんのブログをまとめた書籍『長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』を読んだ監督が、理佐さんの講演会におもむき、企画書を手渡したことが始まりだった。
命や障害というテーマへの関心は、亡くなった母が養護学校で働いていたことが大きい。遺品整理で偶然、母が帆花さんのような重度の障害を持つ子どもを受け持っていたことを知った。障がいを持つ人に対しては「生きている意味はあるんだろうか」とか「かわいそうだな」という感情もあった一方で、理佐さんの姿が母に重なり、母がどんな思いで子どもたちと接していたのかを知りたいと思った。
1年の予定だった撮影は3年に伸び、編集には7年を費やした。当初は理佐さんのブログを引用しながら編集したが、家族の温かな雰囲気が伝わらず、試行錯誤を繰り返した。最終的には、ナレーションを一切つけず、「家族の生活をありのままに見つめる」スタイルに仕上げた。
「ナレーションがないことで余白ができて、観客により能動的に観て頂ける形になったと思っています」と國友監督は話す。
「親戚のおじさん」のような近すぎず遠からずの立ち位置で一家に密着した3年間、帆花さんや一家から教わったことは言い尽くせない。
「帆花ちゃんは『与えられる』だけの存在に見えるかもしれませんが、実は周りの人に幸せや生きる豊かさなどを『与えている』存在でもある。帆花ちゃんが、そして私自身が『今ここに存在する』ということ自体がとても重要なことだと気づけたのは、とても大きな発見でした。いのちは大切だと言うけれど、なぜ大事なのか。帆花ちゃんの生活を知ることで、その根本的なところを考えてもらえたら嬉しいです」
そして、今後も「いのち」について考えていけるような映画を撮り続けていきたいという。
「“いのちとは”と単純に答えを出してしまうと線引きに繋がってしまう。その分からなさに踏みとどまりながらも、分からないからと投げ出すのではなく、問い続けていくことが一つの答えなのではないかと思っています」
『帆花』
東京・ポレポレ東中野にて公開中、ほか全国順次。
公式サイト http://honoka-film.com/
予告編 https://youtu.be/5waoFEXYqJU
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「娘は人工呼吸器に生かされているのではなく…」脳死に近い状態で生まれた少女。母が感じた「生きる意思」