世界の辺境に生きる少数民族などを独自の感性で撮影し、話題を呼んできたフォトグラファー、ヨシダナギ。彼女の作品が放つ鮮やかな色彩と他に類を見ない世界観は大きな注目を集め、過去の写真展では1年で10万人の動員を記録している。
これまで主に海外で撮影してきたヨシダナギの仕事は、2020年の春から始まった新型コロナウイルスのパンデミックによって軒並みキャンセルされた。それまでパンパンに詰まっていたスケジュールが、一気にゼロになるという前代未聞の事態━━。
それから現在に至るまでの間に、彼女にとっても想定外の「変化」が起きたという。それは、長い間、緊張とストレスで凝り固まっていた身体と心が解放される過程だった。
9月に出版した『しれっと逃げ出すための本。』(PHP研究所)で、自身を「逃げのプロ」と表したヨシダナギが語る、自分を守り、世知辛い世の中を少しだけ生きやすくするためのヒントとは?
2018年頃からパンデミックが訪れる直前まで、ヨシダナギはしばしば「思ってた生き方と違う」と嘆いていた。世界各地で撮影してきた少数民族の写真が自分の予想以上に大きな反響を呼び、仕事の依頼が殺到。あまりに多忙で息つく間もない日々に、「こんなに働くために生まれてきたんじゃない」と感じていたという。
そのストレスは、身体に表れた。全身がむくみ、血の気が引き、呼吸が苦しい。仕事に支障が出るからと病院で精密検査を受けたところ、食品アレルギーの検査で驚くほどの項目がヒットした。もともとのアレルギー体質に加え、ストレスで過剰反応が起きていたのだ。体調不良の原因が判明して、ヨシダナギは思った。
「私、これで死にかけてたんだ」
2018年以前は、できる限りストレスから逃れることを意識して生きていた。そのために、仕事の量も抑えた。その生活からあえて抜け出したのは、仕事に対する意識が変わったからだ。
「世の中に名前が出るようになって、仕事で関わる人が増えたこともあって、あの人だらしないよねって言われたくない、しっかりしなきゃいけないっていう自覚が芽生えて。家では本当になにもしてないのに、仕事もなにもしなかったらほんとにダメな人間だよなと思ったんです」
そんな自分の変化について、ヨシダナギは「私、大人になったな」と肯定的に捉えていた。撮影への向き合い方も、より真剣になった。ある仕事で、ロケーションなど自分の要望を聞き入れられないまま日程が進み、思うような撮影ができなかった時のこと。ヨシダナギは、現場で泣きながら訴えた。
「このままなら、私は名前を出したくありません。お金はいらないので、もう1回、自腹で撮影させてください」
自分の力を発揮できていない、させてもらえない悔しさから溢れ出した涙と言葉で、事態が落ち着いて冷静になってから、「私、意外とマジメだったんだな」と自分に驚いたという。
この出来事以来、それまで以上に仕事選びに慎重になった。それは、プロとしてのプライドと責任感であり、自分の能力を自覚してのことだ。
「お金もらって失敗するのは最悪じゃないですか。できないのにできると言って、中途半端な仕事をするぐらいなら、はじめからやらないほうがいい。私はほかのカメラマンほどスキルがないので現場でうまくやるとかできないし、得意なシチュエーションじゃないといい仕事ができないので」
「できないことはがんばらない」のもヨシダナギのモットーだ。そのかわり、少しでも自分が長けていること、得意なものに時間を費やし、心血を注ぐ。それが、より生きやすくなる近道になるかもしれないとヨシダナギは言う。
ヨシダナギのもとには、さまざまな依頼が届く。それを受ける、受けないという判断の基準にしているのは、「絵(完成形)がイメージとして浮かぶかどうか」。絵が浮かばない時は自分に向いていないと判断して断り、パッと絵が浮かんだ仕事には「刀を抜いて戦(いくさ)にいく気持ち」で撮影に臨んだ。
例えばそれは、阿寒湖のアイヌをモデルに、真冬のマイナス25度の極寒のなかで撮影した阿寒湖アイヌシアター『イコロ』の新プログラム「阿寒ユーカラ LOST KAMUY」のキービジュアルだ。この時は依頼のメールを見た瞬間、確信した。「これは私にだからきた仕事で、この仕事ができるのは私しかいない」と。
毎回、戦に臨むような気持ちで仕事をして、見事な写真を撮る。その成果として、次々と魅力的なオファーが舞い込むようになった。その時、「生まれて初めて忙しいということを体験した」ために、疲労やストレスとの付き合い方がわからなかった。それで体調が悪化したのだ。
ブレーキのかけ方がわからないまま突っ走っていた時、パンデミックが起きた。世界中で外に出てはダメ、人に会ってはダメという状況になり、一切の予定がキャンセルされた時、ヨシダナギに焦りはなく、むしろ「私の時代が来た!」と思ったそうだ。
まず、2020年3月末に発売されたNintendo Switch用ゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」を購入すると、1日中プレーするようになった。早い時期にプレー時間が800時間を超えたというから、相当やりこんだことがわかる。
好きなゲームをしていない時は、ひたすたボーっとした。ソファに座っていると知らぬ間に意識がフェードアウトするそうで、「縁側にずっと座っているおばあちゃんの気持ち」なのだという。
「もともとあまり働きたくない主義だから、堂々と仕事を休める、何の気兼ねもなくぼけっとしていられる、それが正義みたいな感じがすごく心地よかったですね」
時間ができたら有意義に使おうと考える人は多いだろう。毎日のようにゲームに耽ったり、何時間もボーっとしていたりしたら、「無駄な時間を過ごしてしまった」と後悔する人も少なくないはずだ。
ヨシダナギに、その発想はない。「無駄なことをしてしまった」と嘆いたり反省したりするのではなく、「無駄なことができる今は幸せだ」と考える。それが自分を追い詰めない処世術のひとつだ。
「明日できることは、明日やればいい」。
時間ができるとついつい仕事や家事を前倒しで済ませたくなるが、ヨシダナギは「なんでそんなに生き急ぐ必要があるの?」と考える。他人からなにを言われようと、自分の時間は好きに使う。無理に頑張らないことは、ヨシダナギにとってとても大切なことだ。
「誰も甘やかしてくれないから、自分のことだけは自分で甘やかさないと、いっぱいいっぱいになっちゃう。自分を甘やかす道を選ぶと、世間では逃げると言われるけど、甘やかす=逃げるではないと思います。自分を守ることが最優先だから、自分ぐらい甘やかそう、自分ぐらい傷つかない方法を選ぼうって思います」
ヨシダナギにとって、自分を存分に甘やかすことができた1年以上にわたるコロナ禍のステイホームは、単なる癒し以上の時間になった。
振り返ってみれば2015年、29歳の時にテレビ番組『クレイジージャーニー』に取り上げられて以来、ジェットコースターのような人生を歩んできた。世界中に撮影に行き、日本中で展覧会をして、メディアに露出し続ける毎日は、『クレイジージャーニー』以前には考えられなかった。その生活に慣れていく間に、ヨシダナギの心はタフになっていった。その反面、強すぎる刺激から自分を守るために扉を閉ざした状態でもあった。
その扉が、「あまりにも穏やかだった」と表現するコロナ禍の生活で緩んだのだろう。マネージャーから「日本でも撮影しようと思えばできるんだから、なにか考えたらどう?」と言われていたこともあり、ある日ふと「歌舞伎の連獅子なら撮れるかも」と閃いた。
それからしばらくして、歌舞伎を観に行った。躍動感のある役者の動きを初めて目の当たりにしたヨシダナギは、「ああ、すごい。本物だ。この人たちだったら撮れる」と思った。それは、彼女自身にとっても意外なことだった。
「それまでは本当に興味があるもの以外には(心が)動じることがなかったんです。マヒしていたのかもしれません。でも、歌舞伎を見て感情を揺さぶられて、感動することをおぼえたというか、私、人間になれたんだなって思いました。それに、自分が日本人とか日本文化に興味が持てるんだってことに驚きましたね」
硬い殻にヒビが入るように、心が動き始めた。それは、新しい出会いも生んだ。マネージャーから「好きだと思うよ」となにげなく送られてきたあるブログを読んだのがきっかけで、そのブログの筆者である女性と連絡を取り合うようになり、今年の夏、顔を合わせた。
それから急速に距離が縮まり、今ではほぼ毎日連絡を取り合う仲になった。それまでは、友人とも一定の距離を置いて付き合うのが当たり前だったヨシダナギにとってかつてないことで、彼女は今を「青春」と表す。
「私は小学校でいじめられて、中学校もほとんど行かなかったので、青春っていう青春をしてないんです。だから、みんな若い時にこんな感じで過ごしてたんだって新鮮ですね。忙しい時期だったら会うこともなかったと思うし、すごくいいタイミングで親友ができました」
感動することをおぼえ、親友ができた。心の奥底で眠っていた感性が目覚めたヨシダナギがシャッターを押す時、どのような変化が起きるのか。
体調もすっかり回復し、「視界がクリアになった」と笑う彼女が次に狙う被写体は、日本にいる。
「一番興味があるのはお相撲さんです。もともと身体の大きな人が好きなので、大きな人をいっぱい見たいんですよ。デジタル空間とか山のなかとか、絶対にそこに力士はいないだろうっていう空間で自由にとってみたいですね」
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写真家・ヨシダナギが泣いた日。コロナ禍で仕事ゼロになって起きた変化「わたし、人間になれた」