読み書きを苦手とする人たちがいる。しかし読み書きが苦手だからといって、勉強が苦手だとは限らない。
学習障害(LD)は、発達障害のひとつだ。脳の特性により、読み書きなどに困難さを抱える。ものごとをよく理解していても、書くときに困難さがあってアウトプットできなければ、「理解していない」と思われやすい。あるいは、読むのではなく音声で聞いてインプットすれば理解できるのに、学校の勉強は読んで理解する場面が多いため、「勉強ができない」と思われてしまう。
2012年の文部科学省の調査では、全国の公立小中学校の通常学級に在籍する児童生徒のうち4.5%に学習障害の可能性があるとされた。だが、まだ認知度は低く、残念ながら理解を得にくいのが現状だ。
そんな学習障害の当事者である菊田有祐(きくた・ゆうすけ)さんは、現在大学生だ。勉強が苦手だと思っていたが、小学校時代にデジタル端末を使うことで、勉強が得意な自分を見出した。
端末を使うことや、試験で合理的配慮を受けるのは、一筋縄ではいかなかったという。学習障害とともに歩んできた人生について、有祐さんと、母親の史子さんに話を聞いた。
有祐さんは、特に書くことに困難さを抱えている。史子さんは、小学校入学時にそのことに気がついた。
「小学校に入るとき、お祝いをいただいた方に手紙を書かせようとしたんです。すると、『ありがとう』の『あ』から書けない。振り返れば、それまで文字に興味を示すこともなかったんです。『もう“ありがとう”はなくていい、自分の名前“きくたゆうすけ”だけ書こう』と言っても、その7文字が書けず、毎回形が違って、完成しませんでした」(史子さん)
小学校1年生で、ASD(自閉スペクトラム症。発達障害の一種)と診断を受け、同時に「読み書きに困難が出るかもしれません」と示唆された。
史子さんによれば、当時、有祐さんは「僕は算数が大好きなはずなのに、なんか学校の算数はつらい」と漏らしていたそうだ。
「単純に『僕は頭が悪いんだ』と思っていました。書けないことに原因があるとはわかっていても、書けないことは勉強ができないことと同じだと思っていたので、自分は頭が良くないと思っていました」(有祐さん)
学習障害のある子どもにとって、小学校は過酷な場所だろう。有祐さんは、書けない自分と6時間目まで向き合って、「自分はダメなやつだ」と心が切り裂かれていたそうだ。
ある日、かかりつけだった小児科医が、学校医になった。医師は、小学5年生になった有祐さんを校内で見かけ、その変化に驚き「あんなに快活だった子が、学校で見たらおどおどしている。明日診察室に連れておいで」と母・史子さんに伝えた。
医師は、有祐さんに「算数や理科が好きなら、小学校の簡単なものをやっている場合じゃないよ。君みたいな子は、微分積分なんかをいきなりやってわかるから。数学や物理、化学をちゃんと勉強しなさい」と言い、史子さんには「お母さん、そういう先生を個別指導でつけなさい」と言った。医師は有祐さんに合った学び方を見抜いていたのだ。
史子さんは家の近くの塾に出向いて、個別指導を依頼した。
「『理工学部の学生さんで、ちょっとコミュニケーションが苦手ぐらいの人がいいんです。物理学や宇宙工学が専門の先生をつけてもらえないですか?』と頼みました。
担当してくれることになった先生には、『読み書きは苦手なので、とにかく話してください。素粒子の話でも宇宙の話でも、知識のシャワーを浴びせてくれたら何でもいいです』と言ったら、『え? いいんですか?』と戸惑いながらも引き受けてくださいました」(史子さん)
そうした先生との出会いによって、有祐さんの知的好奇心が爆発した。周囲の大人は、2人が何を話しているかもわからなかったそうだが、会話は大盛り上がりで、通じ合うものがあった。5年生が終わった頃には、物理も化学も数学も、高校卒業程度のことまで話し終えてしまったそうだ。親子はこう振り返る。
「自分の知的好奇心を思う存分発揮して、吸収して、満足しながら生きていくには、やっぱり知的な部分で人と交流ができなければいけなくて、読み書きができないことはボトルネックですよね。ここを解決して、打破して、つなげてやらなければいけないなと感じました」(史子さん)
「学校の勉強とは違って、僕の興味があることしかやらないので、それをあまり勉強とは思っていませんでした。みんなが習い事でサッカーをやっているような感覚で、物理や天文学について楽しく話をしていました。
でもこれが学校の勉強の延長線上にあるとは思わなかったので、“サッカーが得意だけど、勉強が苦手”な人がいるのと同じで、自分は“物理や天文学が得意だけど、勉強は苦手”で『勉強ができない』のだと思っていました」(有祐さん)
もちろん、学習障害のある子どもが、必ずしも「実は勉強が得意だった」なわけではない。そこは注意が必要だ。多数派の人々と同じように、得意な人と苦手な人がグラデーション状に存在することに注目してほしい。問題は、その多様性が読み書きの苦手さによって隠れやすいことなのだ。
小学校5年生で、もうひとつの転機が訪れた。ある大学のプロジェクトに参加し、タブレットを使えば勉強ができることを知ったのだ。有祐さんは鉛筆やペンを使った書字は苦手だが、タブレットやPCを使った文字入力は得意である。
その経験を経て、有祐さんは自分の言葉で同じクラスのみんなに説明をした。「僕はいい道具を見つけて、これなら文字が書けて勉強ができるから、授業でタブレットを使いたいです」。「自分だけずるいと言われたらどうしよう」という心配はよそに、クラスメイトは「いい道具があって良かったじゃん」と受け入れた。
史子さんも保護者会で説明をした。「これから中学校に進めばもっと学区が広くなるから、もっとたくさんの後輩たちがきっとタブレットを使えるようになるでしょ。だから、有祐くんが今ここで使い始めるのはすごく大きなことだよね」と、周囲の保護者から返ってきた言葉はポジティブなものだった。
初めて授業でタブレットを使った日、小学校から帰宅した有祐さんは「80倍ぐらい(勉強が)楽だった!」とその興奮を史子さんに伝えた。
「タブレットを使うようになって、自分は学校の勉強ができなかったわけではなかったことに気づきました。自分に自信を持てて、自己肯定感が上がったなと思います」(有祐さん)
現在の有祐さんは、慶應義塾大学・湘南藤沢キャンパス(SFC)の1年生だ。読み書きの苦手さが障害となりにくい環境になったという。
「大学ではペンで文字を書く人が存在しないので、実は配慮申請を何も出していないんですよ。1年生の前期を受けてみた感じでは、ほぼ全部の単位が、レポートかパソコンでの解答なので、僕のやり方に合っています」(有祐さん)
特性が障害化するかどうかは、環境によって変わる。有祐さんは、自分に合った道具を見つけ、自分に合った環境にたどりついた。
しかし、学習障害のある人の多くは、見落とされている可能性が高い。有祐さんも、高校入試の際に配慮を受けられず苦労した経験を持つ。親子で奮闘してきた経験から、史子さんは「一般社団法人読み書き配慮」を設立し、当事者たちの支援を行っている。
「高校受験のとき、20校も説明に回って、断られ続け、苦労しました。私はそのとき、教育現場がみんなで寄ってたかって(特性のある子どもを)いじめている状態になっていると思いましたね。
私は怒りを感じたら黙っておけない性格だし、息子も強かったからたまたま跳ね返せたけれど、そうしなければいけないのは本当はおかしい。視力の低い人がメガネを使うのと同じように、学習障害のある人がパソコンやタブレットを使えるのがいい。『助けて』と声を上げたときに手を振り払われる経験をたくさんしてきましたが、『よし、助けるよ』と言える大人たちが増えてほしいです」(史子さん)
有祐さんはこう話す。
「いまはICT教育が導入されて、LDの子たちは周りから『もう何もしなくていい』と思われていますが、やっぱりそれぞれの悩みがあるから、何もしなくていいということはありません。
個別な配慮が必要ですが、個別ゆえに悪目立ちしてしまうと思って、尻込みしてしまう子もいます。『友達にいじめられるかも』とか。そう考えるのは僕もわかるので、どんなやり方でやるかは、最終的に本人が決める問題です。周りの大人は本人が『(タブレットを使って)やります』と言ったときに、その子の声を聞き、協力してあげられる社会であってほしいですね」(有祐さん)
学習障害(LD)についての情報は、十分だとは決して言えない。有祐さんは書字が苦手な特性を持っているが、読字、計算に困難さを抱えている当事者もいる。それぞれに事情が異なるため、個別のニーズを知ることが大切だ。当事者たちの声に、まずは耳を傾けてほしい。
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学習障害(LD)とは?「書けないこと=勉強ができないこと、だと思っていた」