国に、法律上の性別が同じふたりの結婚を認めるよう求める「結婚の自由をすべての人に」裁判の本人尋問が10月11日、東京地裁で開かれた(池原桃子裁判長)。
通称「同性婚」訴訟として知られるこの裁判は、札幌・東京・名古屋・大阪・福岡の全国5つの地裁と高裁で進んでいて、東京の本人尋問は、札幌地裁に続き2番目になる。
本人尋問は、弁護士や裁判官が原告本人に直接質問するやりとりで、裁判官の判断に影響を与えるほど重要なやりとりが行われることもある。
11日の本人尋問では、原告の小野春さんと西川麻実さん、小川葉子さんと大江千束さん、かつさんとただしさん、そしてよしさんの7人が法廷に立ち、結婚が認められないことで不平等な扱いを受けたり、尊厳を踏みにじられた経験を語った。
小野春さんと西川麻実さんのカップルは、一緒に暮らすようになって18年。それぞれが産んだ3人の子どもを育ててきた。
しかし子どもたちが小さかった頃、ふたりは偏見を恐れて自分たちが同性カップルであることを学校には伝えられず、そのために子どもたちも社会の中で疎外感を感じていたという。
小野さんが産んだ長男は小学生だった時、家族のことを書いた作文で、先生から西川さんの名前を◯で囲まれて「この人は誰ですか」と尋ねられた。小野さんは、長男はそれ以来「自分たちの家族は想定されていないんだと感じ、家の外で西川さんについて話さなくなった」と振り返る。
小野さんは「私たちも、結婚できていたら普通の家族のように扱ってもらえた」と述べ「同性カップルも安心してのびのびと育てられる環境を作るためにも、同性カップルの結婚を法律で認めて欲しい」と訴えた。
小川葉子さんに初めて同性の恋人ができたのは、高校生の時。しかし関係は長く続かず、大学進学後に別れた。
別れの原因の一つは「結婚」という選択肢がないことだった。交際相手から「あなたが男の人だったらよかったのに、そうしたら将来のことを考えられたのに」と言われ、小川さんはショックで打ちのめされたという。
将来の希望や展望が持てなくなった小川さんは、不眠やうつ状態が続いて大学を中退した。
一方、小川さんのパートナーの大江千束さんも「異性愛が当たり前」とする空気に耐えられず、高校卒業後に就職した会社を退職。さらに、大江さんが同性愛者であることを知った親戚たちから理解を得られず、疎遠になった。
小川さんは「同性婚ができたら、若い時期に自分の人生を諦めず、夢を追えたと思う。同性愛者はたくさんいます。彼らの夢や道筋を見守ってほしい」と裁判長に語りかけた。
ただしさんは子どもの頃から、恋愛感情を抱く相手が男性だと気づいていた。
そのことを肯定的に捉えられず「いつか治るのではないか」と、10代の頃に文献を読み漁った。しかし、文献には同性愛者のことが「異常性愛」などネガティブに説明されており、自分自身に対してますます否定的な気持ちを持つようになった。ただしさんは若い時から「生涯一人で生きていかなければいけないのだろう」という圧倒的な寂しさを感じていたという。
パートナーのかつさんも10代の頃、ただしさんと同じように自分を否定的に捉えていた。しかし2012年に出会って一緒に暮らすようになり、ふたりの人生は孤独ではなくなった。お互いそれぞれの家族にもカミングアウトし、良好な関係を築けている。
ただしさんはつらかった過去を振り返り「もし小さい頃に男女と同じように結婚できる社会だったら、自分をもっと肯定的に捉えられました」と語った。
また、かつさんは「同性同士が結婚できることで、全ての問題を解決できるとは思いません。しかし私のように思春期に思い悩んでいる人が減ると思う」と訴えた。
「いつか法的な結婚ができたら」――2019年4月の口頭弁論でそう話したよしさんのパートナーの佐藤郁夫さんは、2021年1月に亡くなった。
佐藤さんが倒れて救急車で運ばれた時、付き添ったよしさんは入院書類に自分のことを「パートナー」と書いて手続きをしようとしたが、病院はよしさんを家族とみなさず「血縁者の連絡先を教えて欲しい」と求めた。
また、病状説明も受けられず、よしさんは佐藤さんの病状を、妹さんから電話で教えてもらわなければならなかった。
20年近くともに生きてきたパートナーの人生の最後に、家族として扱われなかったよしさん。佐藤さんが亡くなる前に、妹さんと一緒に会えたことを振り返った時には、しばらく話せなくなり涙を流した。
そして「郁さんはいないけれど『いつか法的な結婚をしたい』という郁さんの思いを無駄にしたくないと思い、原告を続けることにした」と裁判にかける思いを伝えた。
7人に加えて、原告の親族1人も証人尋問に立ち「少数者だからといって、不利益を被り、いじめや差別がしょうがないという社会であってはいけないと思う」と強く訴えた。
本人尋問は、本訴訟の「山場」と言われており判決にも影響を与えることもある。
同裁判の札幌訴訟では2021年3月、「同性カップルに結婚を認めない現在の法律は憲法14条1項に反する」という判決が言い渡された。
この判決の判断ポイントの1つになったのが「性的指向が自分で変えられるかどうか」だったが、これは裁判官が本人尋問で原告に直接確認した点だった。
裁判官は原告のうちふたりに「性的指向は自分の意思で変えられないのか」と質問し、ふたりはいずれも「変えられません」と答えた。
そしてその半年後の判決では「自らの意思で選べない性的指向で、結婚による法的な利益を受ける/受けられないを区別してはいけない」という判断が示された。
このように、判決を左右することもある本人尋問だが、東京訴訟では、2019年2月に裁判が始まった時から、田中寛明裁判長(当時)が本人尋問は必要ないと実施に消極的な姿勢を示していた。
これに対し、原告らは「結婚が認められていないことがどれほど個人の尊厳に影響を与え、深刻な人権侵害になっているかは、本人たちの話を聞かなければわからない」として、本人尋問を求め続けてきた。2020年末に行われた実施を望む署名運動には、1万8000筆以上が集まった。
その後に裁判長が変わり、本人尋問が実施された。
2020年12月の審理で、「私たちは人生をかけてこの裁判をやっているんです。話を聞いて欲しい」と、本人尋問の実施を訴えていた小野さん。
尋問後の取材で「署名に本当に力をもらいました。前回の裁判長では尋問自体が難しかったのではないかと思いますが、それを変えてくださったのは、みなさんの署名や手紙のおかげで、本当にありがたく思っています」と感謝を述べた。
また、尋問を終えた原告たちは、不平等な状況を解消する判決が言い渡されることを望んでいる。
西川さんは「札幌の判決で憲法に違反しているというところまで踏み込んできました。東京でも、この状態は差別的であるとはっきりと裁判所の口から出してほしいと思っています」と記者団に語った。
大江さんは「憲法14条に反することはもとより、(国が同性婚を認めていないことが)立法不作為であるという判決を出して欲しいと切望しています」と述べた。
東京1時訴訟の次回の審理は、2022年2月9日に開かれる。
Source: ハフィントンポスト
同性婚訴訟、山場となる「本人尋問」で7人の原告が語った過去の苦しみと未来への希望【東京1次8回】