高騰する価格に注目が集まるNFT(非代替性トークン)アート。今後も取引所が続々と参入し、発展の一途をたどることは確実だ。唯一性が重要視されるアート業界で有効な手段である一方、著作権者の許諾を得ずに誰でもNFTを発行できるなど課題も残っている。
実体なきデータに付いた値段、およそ75億円。そう聞けば端的に驚いてしまう。
今年3月、世界最大手の美術オークション会社クリスティーズが、リアルの会場を設けないオンラインセールを開催した。その際に話題をさらったのが、デジタルアーティストBeepleの作品《Everydays – The First 5000 Days》だった。予想を大きく上回る約6935万ドルで落札されたのである。
Beepleという名前に馴染みのある向きは少ないだろう。アーティストといえど絵画や彫刻のようなモノをつくり出すのではなく、バーチャルな世界にしか存在しないデジタルアートを専門に創造している。ゆえに美術館などリアルな場で作品を見かけることはまずないのだ。
もちろんデジタルアート界では広く知られており、作品が高く評価されるのはまったく不思議ではない。とはいえ、やはり破格である。なにしろ6935万ドルというのは、ジェフ・クーンズの《ラビット》、デイヴィッド・ホックニー《芸術家の肖像画-プールと2人の人物-》に続き、現存アーティスト作品として3番目の高値となる。
《ラビット》はギラギラ光る立体作品で、《芸術家の肖像画》は堂々たる絵画。どちらも100億円前後という落札価格が適正なのかどうかは判断しかねるが、現代アートにおけるマスターピースとして存在感に満ち満ちているのはたしか。
対してBeepleの《Everydays – The First 5000 Days》はどうか。表現の内容や質に疑いを入れるつもりはないけれど、かたちがないというのはやはり不利に感じられる。これではホームパーティーでお披露目して友人知人に自慢するわけにもいかない。巨額を突っ込んで自分のものにしたという実感はどこで持つのだろうかと、要らぬ心配をしたくなる。
しかも、だ。オリジナルが画像データということは、コピーとの差別化ができない。作品イメージはインターネット上で無限にコピーされてしまう。これで果たして作品を排他的に所有した気分が得られるのだろうか?
そのあたりがまさに、デジタルアート作品に付いて回る悩みだった。「所有する実感」と「この世にまたとない一点ものである」という確証が得づらいので、値が付けにくい。そんな弱点を持つゆえ、たとえどれほど人気があろうとデジタルアートには高額作品がなく、市場も形成されなかった。
それなのに今年になって、Beeple作品には驚くほどの高値が付いたのである。なぜか。これがNFTアート作品だったからだ。
NFTと結びつくとデジタルアートに値が付き、市場ができるとはどういうしくみなのか、ひもといてみよう。
近頃よく耳にするようになったNFTとは、Non-Fungible Token(非代替性トークン)のこと。和訳しても一向に柔らかくならないこの概念を、もうすこし掴みやすくするため反対語を示せば、FT(Fungible Token)となる。訳せば「代替の効く財」といった意味になるか。つまりはこれ、貨幣や株券のことだ。私の一万円札とあなたの一万円札は紙幣として考えた場合、まったく同一のものであり価値も共通。取り替えっこしたって支障はない。まさに代替可能な財である。
ということは、だ。反対概念のNFTとは、貨幣などと違い個別のユニークな特徴や価値を持ち、取り替えっこするわけにはいかない財のこととなる。たとえば不動産、それにアート作品もこれにあたる。そう、そもそもアートはNFTであって、NFTアートという言葉は同義反復になってしまっているのだ。
語義の解釈だと上述のようになるが、昨今言われているNFTというのは、もうすこし広く緩やかな意味合いで使われている。コピーが無限に拡散してしまい個別性・唯一性を保ちづらいインターネット空間において、唯一性を保証するタグのようなものが付いたデータそのもの、または唯一性を担保するしくみ自体をNFTと呼び習わす場合が多い。すなわちNFTとは、デジタル空間における「保証書付きデータ」的なものを指している。
アートの世界では、唯一性ほど重要視されるものはない。現物として存在する従来のアート作品取引でも、多くの場合「これは唯一無二の本物ですよ」と証明してくれる保証書は付いてくる。世に流通している作品の半数はニセモノだとまことしやかに唱えられたりするほど、贋作・偽物が跋扈するのがアート界。折紙付きかどうかは常に大問題だ。
持ち主が満足していれば真贋などどちらでもいいとの考え方もあろう。ただし売買や流通を考えれば、オリジナルを確定し持主を明確にしておくことは重要事項となる。リアルの世界では長い年月をかけて法・商慣習整備が進んできたわけだが、近年新しくフィールドとして出現してきたインターネット空間では、これまで真贋やオリジナルの証明が難しかった。というより、そもそも本物とニセモノ、オリジナルとコピーを区別する意識すら薄いのがデジタル世界の特徴であるので困り果てていたわけだ。
あるアーティストのつくった一枚の画像が作品として人気を博せば、そのイメージはインターネット上であっという間に拡散し、世界中に広まる。誰かがそのアーティストから画像を買い取ったとしても、拡散した画像を回収することなんてできないし、自分が購入者・所有者であることを証明するのもままならない。
これでは売買の対象にはなり得ないのだが、作品にNFTを紐付けておき唯一性を保証できるなら話は別となる。リアルのアート市場と同等か、それ以上に安全(紙の保証書のほうがきっと偽造しやすい)な取引環境が実現できる。
バーチャル空間のみに存在するNFTアートの市場は急拡大しており、2021年上半期、世界のNFT関連売上高は25億ドル(約2750億円)に達したという(NonFungible.comの調べによる)。ただしこれはアートに限った数字ではなく、コレクターズアイテムとしてのNFTなども含まれる。
先般話題になったものでは今年3月、米国ツイッター社のジャック・ドーシーCEO(最高経営責任者)が、15年前に自身がツイッターに初投稿したツイートのNFTをオークションにかけ、3億円超で落札された例がある。これはアート作品というよりコレクターズアイテムとしてのNFTとみなせるだろう。
ともあれNFTアートは質・量・ジャンルとも伸び盛りなのは間違いない。参入者は続々と増えている。現存する最重要アーティストと目されるダミアン・ハーストは今年になって、NFTプロジェクト「The Currency」を展開し始めた。1万点に及ぶ作品を用意して、それぞれのNFTを一斉に販売したのだ。
購入者は数カ月のうちに、そのままNFTを保有するか、NFTで紐付けられた実物作品と置き換えるか選択しなければいけないしくみとなっている。ダミアン・ハーストは作品の購入・所有という行為を通して、現代を生きる人の価値観を揺さぶりにかかっているのだろう。
6月には、NFT売買の場を運営しているニフティ・ゲートウェイが、企画セール「Nifty Next Generation」を開催。米国に住む10代のNFTアーティストを特集し、1000~7000ドル台の作品が完売した。「NFTネイティブ」の若手アーティストが登場しつつあるのだ。
またロシアのエルミタージュ美術館は今年、NFTプロジェクト「Your token is kept in the Hermitage」計画を発表した。同館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチやフィンセント・ファン・ゴッホ作品のNFTをつくり、オークションにかける予定だという。そうして得た資金は美術館の運営に役立てられることとなる。
かようにNFTは、創作においては早晩主要なジャンルのひとつとして定着するだろうし、アートマーケットにおける重要な場としてもますます認知が進むはず。NFT自体は単なるしくみだから、その台頭が優れたアートの輩出に直結するとは言えない。ただ、インターネット空間に新しく巨大なアート市場を創りつつあるのは事実である。これによりアート界が活性化されれば、そこで花咲く才能が増えることはもちろん期待できる。
ただし市場が大きくなるにつれ、露見していないものを含め課題もまた多くなる。たとえばここに売りに出されているNFTアートがあったとしても、それは本当に著作権者やその許諾を得た者の手による行為なのかどうか、判別は難しい。第三者がどこかから画像データをコピーしてきて、勝手にNFTを設定し販売しているのでは? という疑いは付いて回る。先述のBeepleを騙ってニセのNFTが出回る恐れだって、常にあるわけだ。
自衛手段としては、信頼できる「場」で売買をしましょう、ということになる。NFTアートマーケットプレイスと呼ばれる販売所・取引所が続々と誕生しており、出品にあたって審査制を取り入れるところも多いので、信頼性をよくよく判断して選ぶ。思えばこれはNFTに限らず、リアルのアート市場でも同じこと。クリスティーズやサザビーズなど伝統と実績あるオークション企業が扱う作品なら安心感はあるが(それとて100%信頼するわけにはいかない)、怪しい美術商と個人的に取引すれば、トラブルに巻き込まれるリスクが高まるのは自明である。
さてNFTアートについて、これから予想される傾向をさらにひとつ挙げるなら、これまで高く聳えていたアートとその周辺領域、またプロフェッショナルとそれ以外の壁が、低くなったり取り壊されたりするだろう。6月にリークされた、InstagramがNFT機能を開発中というニュースは象徴的だ。この機能が実装されると、ユーザーは投稿するときにその投稿を購入可能なNFTにするかどうか選択できるようになるという。
あらゆる人が、スマホを片手に持ってさえいれば、唯一性とかけがえない価値を持つもの、すなわち「アート」をいつだって生み出せるのだ。「誰でもピカソ」な世界の実現である。
NFTはアートをより身近なものにしていく。その流れはもう止まらない。
山内宏泰 ライター。文学・美術などの分野で執筆。著書に『文学とワイン』、『上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史』、『写真のプロフェッショナル』ほか。「文学ワイン会 本の音夜話」「写真を読む夜」などのイベントも主宰。
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(2021年9月15日フォーサイトより転載)
Source: ハフィントンポスト
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