「失業中で1年くらいまともに食べていない。以前生活保護の相談に行ったが、いろいろ条件をつきつけられて申請しなかった。保険証もなく病院にも行けない。現金がなく食べ物に困っている」(50代男性)
「離婚し保育園で働いている。借金もあるので風俗のアルバイトもしてきたがコロナで収入が減り、やりくりができなくなっている」(40代女性)
「個人タクシー廃業して生活に困窮。8月からの家賃が払えない。抗がん剤治療中」(70代男性)
「昼は会社で夜はスナックでバイトしてダブルワークしてきたが、会社は廃業、バイト先のスナックも一月から休業で収入がゼロに。生活していけないし、娘の高校の費用が払えない」(40代女性)
「仕事がなく、アパートの家賃払えず、電気、ガス、水道停止。50円しかない」
「タクシー運転手だったが、コロナ感染が怖くて今年の第4波から仕事に行けなくなり、収入が夫婦の年金月12万円だけになった。生活保護も以前ダメと言われたので、こうなれば臓器を売って自分葬儀代を出したい。臓器が売れるところを教えてほしい」(70代夫婦)
「80代の妻が4年前から施設。年間130万円の費用がかかる。自分は年間70万円の年金で生活している。カードで借金が160万円ある。妻が6月に手術。お金がかかるので貸付を受けたい。子どもにはこれ以上援助を頼めない」
「時短協力金が4ヶ月経ってもまだ振り込まれない。総合支援資金の再貸付も申し込んだが3週間以上待たされる。生活が成り立たないので本当に闇金に手を出すしかないと思っている。もう心が折れそう」(お好み焼き店自営)
「手持ち現金10万円。3日後に妻の入院費を支払うと手持ち現金が尽きる。自営業だが仕事もなくどうしたらいいのかわからない」
「家賃を滞納し、来月アパートを出ないといけない」(30代男性)
「就職が決まったがコロナ陽性者が出て2週間の休業となった。家賃の支払いであてにしていたが、収入の目処がなくなった。どうしたらよいか。貯金なし」(20代男性)
「大学生。コロナでアルバイトなくなり、親からの仕送りなく公共料金と携帯電話滞納中」(20代男性)
これらの言葉は、6月12日に開催された「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」に寄せられたものだ。
午前10時から午後10時まで、全国38会場、93回線を使って開催されたこの電話相談は8回目。昨年4月から私も相談員をつとめている。この日、寄せられた相談は全部で954件。もっとも多いのは生活費の相談で567件。第一回目の昨年4月には、休業手当や持続化給付金などに関する相談が多く、フリーランスや非正規からの電話が目立った。しかし、一年半経ち、相談内容は労働相談から生活苦の相談に変わり、また相談者における無職者の割合が増えている。
相談の中には、すぐにでも生活保護申請が必要なケースも多い。が、そこまで困窮していても「生活保護だけは嫌」という忌避感を口にする人が少なくない。
「コロナで外国人観光客が減ってガイドのアルバイトがなくなった。生活が苦しい。緊急小口資金、総合支援資金で借り切った。生活保護は受けたくない」(70代男性)
「65歳で体調不良となり、生活困窮。生活保護は絶対に受けたくない」(自営業)
「デパートでの催事の仕事。今年2月からコロナで仕事がない。年金も少なく、手持ち金もわずか。生活保護以外で支援制度はないか」(60代女性)
「家電小売業だがコロナで収益がゼロに。持ち家で月7.5万円の年金収入のみ。税金や借金の滞納もかなりあるが、生活保護は恥なので受けたくない」(80代夫婦)
「自営でカラオケスナックを30年間やってきたが限界。大阪府に協力金を申請したが3ヶ月経ってももらえない。借金もある。生活保護は絶対に嫌だ」(70代女性)
こんな言葉を、電話相談で、また対面の相談会でこの一年半、何度も聞いてきた。
若い人だけではない。紹介したように、70代、80代と高齢であっても「それだけは嫌」と強い拒絶の言葉を口にする。
この電話相談、8月21日には9回目が開催され、私も相談員をつとめたのだが、その前の週、大きく報じられたのが「メンタリストDaiGo氏による生活保護利用者やホームレスへのヘイト発言」だった。
このことについては前回の原稿でも少し、触れた。そこでも書いたが、問題は、なぜそのような発言をしても許されると思っていたかだ。その問いとともに頭に浮かぶのはやはり、自民党が野党だった2012年春の生活保護バッシングである。
お笑い芸人の家族の生活保護利用が報じられ、不正受給でもなんでもないのに一部自民党議員がこれを問題視。片山さつき議員は厚労省に調査を求めるなどオオゴトにしていった。そんな中、同議員は生活保護について「恥と思わないことが問題」などと発言。このような報道を受け、制度利用者へのバッシングがあっという間に広がった。
昨年6月、安倍元首相は国会で、生活保護バッシングをしたのは自民党ではない、などの発言をしたが、誰が見てもバッシングをしていたのは思い切り自民党である。自民党の生活保護プロジェクトチームの世耕弘成氏は12年、雑誌のインタビューで、生活保護利用者に「フルスペックの人権」があることを疑問視するような発言までしている。また、12年9月には、自民党・石原伸晃氏が報道ステーションにて生活保護を「ナマポ」と揶揄する発言をし、社会保障費の抑制などについて述べたあと、「尊厳死協会に入ろうと思うんです」などと述べている。
そんな生活保護バッシングはメディアにも広がり、テレビ番組の中には「生活保護利用者の監視」を呼びかけるものまであった。当然、生活保護を利用する人々は怯え、外に出られなくなったりうつ病を悪化させていった。命を絶った人もいる。ちなみにバッシングの際、必ず言われる不正受給だが、それは2%ほどである。
あれから、9年。
コロナ禍で、このバッシングが今も尾を引き、困窮者を生活保護から遠ざけていることに強い憤りを感じている。
同時に強調したいのは、このようなバッシングの果てに同年12月、自民党は選挙で勝ち、政権に返り咲いたことだ。その際の選挙公約には、はっきりと「生活保護費の一割削減」が明記されていた。そうして13年から実際に生活保護費の引き下げが始まった。このことに貧困問題に取り組む人々は声を上げ、全国で裁判が始まり、今も続いている。
この「バッシングからの生活保護基準引き下げ」について、どれほどの人が声を上げただろう? 私の実感で言うと、当事者以外で声をあげる人は圧倒的に少数だった。
今回、DaiGo氏の発言に、多くの人が怒り、恐怖を感じ、声を上げた。
だけど私は、彼の発言以前から、貧しい人が踏みにじられることに無関心なこの社会が、ずーっと怖かった。
特にあれだけの生活保護バッシングを繰り広げたのに自民党が圧勝した12年12月は、「貧乏人は死ね」というメッセージを多くの人から突きつけられたような気持ちだった。生活保護バッシングを「問題ない」とスルーするどころか容認、もしくは積極的に賛成している人たちがこの国に多くいるという恐怖。DaiGo氏は発言を謝罪したが、当時、人の命を奪いかねない発言(実際、自殺者も出ている)をした議員たちは今も議員でい続けている。そして発言を撤回も謝罪もしていない。
さて、生活保護をめぐっては、12年のバッシング以外にも多くの「非難が集中する」ような出来事があり、ネット上は「祭り」のように盛り上がるものの、それで制度への理解が深まるかと言えばまったくそんな方向にはいかない、という苦い経験もしている。
まず振り返りたいのは、北九州で相次いだ餓死事件だ。
07年、北九州で「おにぎり食べたい」とメモを残して52歳男性が餓死。亡くなった男性は生活保護を辞退させられていた。その前年にはやはり北九州で56歳の男性がミイラ化した遺体で発見されている。男性は生活保護の相談に行っていたものの「次男に養ってもらえ」と言われ、電気、ガス、水道が止められ、自力で歩けないほど弱っているのに申請を受け付けてもらえずに餓死した。当時、北九州では生活保護をめぐる自殺も起きていたこともあり、盛大に北九州市へのバッシングが起きた。
その5年後、今度は札幌で餓死事件が起きる。12年1月、札幌で40代の姉妹が餓死、孤立死しているのが発見されたのだ。姉妹は生活保護の相談に役所を3度も訪れていたが、「若いから働ける」などを理由に追い返されていた。
同年2月には、埼玉県で60代夫婦と30代の親子3人が餓死しているのを発見される。所持金は数円で冷蔵庫は空。こちらは役所に相談には行っていなかった。
それ以外にも12年3月には、立川市や足立区などで7件の孤立死が起き、報道されている。本来であれば「もっと生活保護を利用しよう」「役所に相談しよう」という機運になるところだと思うのだが、そんな12年春に起きたのが、散々書いてきた、自民党議員による生活保護バッシングだった。
それから5年後に起きたのが、「小田原ジャンパー事件」。小田原市の生活保護担当職員が「保護なめんな」などと書かれたジャンパーを着て職務にあたっていたという件だ。当然、役所に抗議が殺到した。ただひとつ、この件で「よかったこと」は、小田原市が批判を真摯に受け止め、その後、生活保護行政を改善していったことである。
さて、このように、5年周期くらいで生活保護関連で大きな注目が集まることが起きている。が、それは「今はこいつを思う存分叩いていいぞ!」という「祭り」が一瞬盛り上がっただけに見えて仕方ないのは私だけではないだろう。今回はそれで終わらないことを祈っているが、そんな中、現実を少しずつ変えているのは現場の支援者たちの地道な取り組みである。それによって、コロナ禍の今年4月、扶養照会の運用が変わったことは記憶に新しい。
ここでもう少し過去に遡ると、87年には札幌で3人の子を持つシングルマザーが餓死する事件も起きている。しかも相談に訪れた女性に生活保護申請させず、放置して餓死という最悪の結果を招いたのは12年に姉妹餓死事件が起きた札幌市の白石区。福祉事務所はやはり「まだ若いから働ける」など難癖をつけ女性を追い返していた。女性はそれまで、三つの仕事を掛け持ちしながら三人の子を育てていた。しかし過労で体調を崩し、働けなくなったので申請に行ったのだ。
結局、女性は最後に相談に行ってから2ヶ月後、骨と皮の状態になった遺体で発見される。
そんな餓死事件の前に世間を騒がしていたのは「暴力団による生活保護の不正受給事件」で、生活保護バッシングの機運が高まっていた。そんな中でこの事件が起きたのだ。生活保護バッシングは餓死事件のトリガーになりうることを示している一例だと思う。
ちなみに、今回の件で生活保護などに関心を持った人に伝えたいのは、現在、生活保護は「級地の見直し」によってさらなる引き下げにさらされていることだ。この件もぜひ、関心を持ってほしい。
さて、最後に書いておきたいのは、DaiGo氏の発言は許されないものであることは当然だが、それでは貧困問題に取り組む以前の私がホームレス問題などにどのような認識だったかと言えば、「怖い」というイメージしかなかったということである。特に90年代前半、北海道から上京して初めて路上にいる人々を時は衝撃で、以来、ただただ足早に通り過ぎることしかできなかった。
それが06年、同世代の生きづらさや自殺の問題を追う中で若年層の貧困問題にぶち当たり、取材していく中で多くの出会いと学びを得た。
最初の頃は、就職氷河期世代のネットカフェ生活者たちの話を聞いていた。多くが正社員で就職できず、寮付き派遣を転々とする中で住まいを失っていた。そんな人たちの多数が「親に頼れない」事情を抱えていた。虐待や、親も貧困という事情、そして多かったのは養護施設出身者だ。そうした「家族に頼れない」人たちを「家族福祉がない」状態と呼ぶことも知った。同時に、この国では「企業福祉」に守られない人が増えているということも。非正規が増える中、正社員のような福利厚生がない人たちだ。
一方、ホームレス状態に至るまで、人は五重の排除を受けていることも知った。家族福祉からの排除、企業福祉からの排除、そして教育からの排除、公的福祉からの排除、自分自身からの排除である。この概念は年越し派遣村を開催した湯浅誠氏が唱えていたものだ。
そのような前提で見てみると、就職氷河期世代のホームレス化と、いわゆる「寄せ場」にいる高齢のホームレスの人たちの問題は構造的に地続きの問題だということが鮮やかに見えてきた。そうして気づいた。これって、高卒でフリーターから物書きになったものの、印税を前借りしながらじゃないと暮らしていけない(当時は常にそうだった)貧乏な書き手である自分の問題じゃん!
そうして私は、そんな困窮者の人々を支援する「反貧困運動」に参加した。この人たちの近くにいたら、少なくとも野垂れ死にとかしない気がする、という下心からだ。以来、15年間続けているのは100%自分のためである。
DaiGo氏が今後、どういうことを学んでいくかは未知数だ。だけど、それがちょっとでも「自分ごと」として感じられたら、学びは一気に深くなる気がする。
今回の件を機に、この国のセーフティネットへの関心が高まり、貧しい人が踏みにじられない社会に1ミリでも近づけばと思っている。
同時に、生活保護バッシングに加担した政治家の責任も今一度、問われるべきである。
(2021年8月25日の雨宮処凛がゆく!掲載記事『第567回: DaiGo氏の発言とコロナ禍で深刻化する貧困、そしてこれまでの生活保護をめぐるあれこれについて。の巻(雨宮処凛)』より転載)
Source: ハフィントンポスト
DaiGo氏の発言とコロナ禍で深刻化する貧困、そしてこれまでの生活保護をめぐるあれこれについて