女性アナウンサーらが繋がる「女性アナウンサーネットワーク(FAN)」を、元TBSアナウンサーの小島慶子さんが中心となり立ち上げました。
FANには現在、フリーランス、系列局、東京のキー局のアナウンサーやディレクター、研究者ら67人が参加し、オンラインでの勉強会・情報交換をしています。
狙いは、ジェンダーステレオタイプに基づく役割を求められることもあるアナウンサーが課題を共有し、長い目でキャリアを築けるようにすることです。
「わきまえている女性であれ」という女性アナに向けられる「圧力」は、社会の様々な立場にある女性たちが直面してきた、社会全体にある問題でもあります。
求められる「女性アナ像」を変えることは、テレビを通じて、より多様性を尊重する社会づくりに繋がるはずだーーと考える小島さんに、話を聞きました。
<小島慶子さん>エッセイスト、東京大学大学院情報学環客員研究員。TBSアナウンサーとしてテレビ・ラジオに出演し、第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞を受賞。独立後は、各種メディア出演、執筆、講演など幅広く活動している。
アナウンサーというのは、多くの人の目に触れる仕事です。その中で、特に女性アナに対しては、「男性社会に媚びて利益を得ている人たち」という視線も向けられていると思います。
社会には不文律の「女らしさ」の押し付け(ジェンダーステレオタイプ)があり、多くの女性が息苦しさを感じています。「わきまえた」女性像の押し付けに加担しているように見えることもある女性アナウンサーにも、同様の葛藤があります。
誰のための「理想の女性像」か。テレビ画面の中と、社会の様々な立場にある女性たちの置かれた状況には、共通の問題があると感じてきました。
そんな中でも、2018年の財務次官セクハラ問題、2021年の森喜朗氏の発言問題の時に、性差別に対して「NO」と声をあげたアナウンサーたちがいましたよね。私はずっと、声をあげた人を一人にしちゃいけないという思いを持っていました。
ところが、アナウンサー同士が横に繋がって、業務内容やキャリアについて情報交換する機会は多くないんです。局や地域は違えど、根本が共通する問題を感じているのに、交流がないゆえに、「悩んでいるのは私だけかな」と孤立してしまいます。
アナウンサーが繋がるFANを立ち上げる具体的なきっかけとなったのは、2021年3月の国際女性デーに合わせた音声SNSクラブハウスでの催しでした。「女性アナと考えるメディア表現」というテーマで現役アナや研究者らと一緒に話をしていたところ、多くのアナウンサーやキャスターが集まってくれたんです。この経験に背中を押される形で、立ち上げを決めました。
そのとき集まったアナウンサー、キャスターたちと話をしていくうちに改めて見えてきたのは、「男女でキャリアパスが違う」という問題点でした。
アナウンサーは「社内の評判」に敏感にならざるを得ない立場にあります。出演者は「起用される立場」です。社員であっても、社内で声がかからなければ、番組に出ることはできない。テレビ局は日本の中でも特に意志決定層のジェンダー格差が大きく、まだ圧倒的な男性社会。民放テレビ局発で、「女子アナ」という言葉が広まって30年あまり。今も、特に若い女性アナは「テレビマンが考える理想の女性」を意識せざるを得ません。
ここでの「理想」とは、「若くて美しくて気が利いて、賢いけれどわきまえていて、男性を決して凌駕することがない女性」という像です。
女性アナは、アナウンス業務とは本来関係のない、そうした「“女子アナ”らしさの体現」が事実上の業務となっている面があります。女性アナたちは真面目さゆえに、それを完璧にこなすのがプロなのだと信じ、起用されるために既存の構造に過剰に適応してしまいます。ときに強い葛藤を覚えることがあっても、諦めたり割り切ったりしながら「役割」を果たしています。
森発言で大きな批判が起きたのを見ても分かるように、この「わきまえている女性」像は、様々な場所で女性たちに求められてきたもので、社会全体に共通する問題です。
もちろん、上司に媚びないと生き残れないことがあるのは男性も同じですが、意志決定層が圧倒的に男性多数の現状では、女性はそこにジェンダーという要素が掛け算になります。「可愛い部下」であることに加え、「可愛い女」であることも求められる。やり切れない思いをしている人も多いでしょう。
今は、「女性も意識を変えて管理職を目指そう」と言われています。でも、そのためにはまず現状の性差別的な構造の中で生き残らなければなりません。
割り切って適応した結果、性差別的な構造や価値観を強化し、ジェンダーステレオタイプの再生産に加担してしまうことにもなる。テレビ画面の中で何の葛藤もなさそうにニコニコしているように見える女性アナウンサーたちにも、そのようなジレンマがあります。発言力のあるキャスターや司会者を目指すなら、まずは男性中心の意志決定層や、視聴者に愛される「アイドル」にならなくてはならない。けれどその多くの女性アナが、年齢とともに仕事を外されていく現状があります。
女性のキャリア形成の難しさには、組織が女性をどのように扱っているかが表れています。テレビは社会を映す鏡であり、メディアは文化を作ると言われます。女性アナが置かれた状況は、日本社会の現状が濃縮されたものだと言えると思います。
入社してすぐに出番が回ってくることが多いのは女性ですが、中年期以降も大きなポジションで新たな活躍の場が与えられるのは圧倒的に男性アナです。熟年のメインキャスターや司会者に女性が何人いるでしょうか。男性は高齢になっても容色の衰えを理由に第一線から遠ざけられることはありませんが、女性はどれほどキャリアを積んでも、外見の評価が影響します。
専門性を身につける機会を得られないことに焦る女性アナウンサーも多い。ニュースキャスターを目指して、報道局に異動して記者として経験を積んだり、大学院で勉強したりする人もいます。
しかし、報道番組の女性キャスターは話題性が重視され、全く経験のない人が起用されることも珍しくありません。鳴り物入りで起用しても、視聴率が落ちてきたら女性キャスターの好感度のせいにしたり、入社したての新人女性アナ投入で「フレッシュさ」を印象付けようとしたりという手法もおなじみです。せっかくキャリアを積んでも生かせないならと、テレビ業界を後にする人も多いのです。
男性の局アナ経験者と話をすると、「女性はずるい」という意見が出てくることもあります。「同期の女性は、若いうちから有名人にインタビューをしたり、交遊したりしていた。若手の男性アナは地味な下積みばかりさせられた」と。これは他の職場でもあることかもしれませんね。
しかし、それは女性のせいでしょうか?なぜ、その男性たちは「起用者はずるい、不公平だ」と言わないのでしょうか。なぜ、若さ重視で女性アナを長く育てるつもりがないテレビ局の体質には、異議を唱えないのでしょうか。
若い女性アナに仕事が集中するのは、テレビ業界をはじめとした日本の社会に「一緒に働くなら(顔を見るなら)、若い女のコがいい」という根深い性差別があるからです。
「それは女性差別ではなく女性優遇だ」というかもしれませんね。では、そういう視点での起用に、若い女性に対する敬意を感じるか、考えてみるといいでしょう。もちろん、「男は男社会のキツい下積みに耐えろ」という男らしさの押し付けもあります。つまりこれは社会構造と密接に関わっている問題で、個人を責める次元の話ではありません。
ジェンダーの押し付けは不当であるという点では、女性アナ・男性アナ共通の問題なのです。最近は、こうした問題意識を持つ男性アナもいます。組織におけるアナウンサーの「不安定な立場」を変えていくためにも、男性アナとも接点を増やしていければと思っています。
FANの目的は、大きく2つあります。
1つは、アナウンサーとして仕事をしている女性たちが、長い目でキャリアを築けるようにすることです。
ローカル局やフリーランスでは、身近にロールモデルがなく、キャリアをスタートして10年も経たないうちに将来が描けなくなることもあります。専門性を磨きながら実績を積み、育児との両立はもちろん、50代、60代までの目標を持って安心して働けるようにしたい。
テレビ局も少しずつ変わり始めましたが、それを待つばかりでは時間がかかり過ぎます。現場から変えられることもあるはずです。既存の“女子アナ”像の押し付けはもう、なくしていくべきでしょう。それに気づいている女性アナたちが「自分はひとりじゃない」と思えることが、アナウンサーたちが自信を持って働ける環境づくりに繋がると思っています。
もう1つは、テレビの表現を通じて、社会に存在する固定観念や先入観を変えていくことです。
テレビを見ている人たちは、知らず知らずに「あるべき女性像」「男らしさ」などのジェンダーバイアスを受け取っています。“女子アナ”のような振る舞いが、あるべき女性の態度だという思い込みも、その典型例ですね。でもこれは、テレビは社会にある先入観や偏見を変えることもできるということです。そのために、アナウンサーが日々の業務の中で、地道に取り組んでいることもたくさんあります。
例えば、台本に「これは女性に嬉しい商品ですね」というセリフがあった時に、「性別を問わず便利な商品だと思うので、『これは便利な商品ですね』に変えてもいいですか?」と提案する。共演者の発言が差別や偏見を助長しかねない時に、咄嗟の判断で補足をするなどなど。テレビ画面に映らないところでも、そうした努力をしています。
「嫌われたら起用されなくなるかも」という不安がある中では勇気のいることですが、スタッフから感謝されることも多い。アナウンサー同士がそういった「現場で行った工夫」を共有しあうことが、社会を変えていく力になると信じています。
アナウンサーたちは、放送の最終安全弁としての役割があります。それはジェンダーに関する表現にも当てはまります。
ところがテレビ局では、差別用語などに関する知識の共有はされているのですが、ジェンダーに関する意識は高いとはいえません。その結果、女性蔑視的な放送などを繰り返し、最近は視聴者から批判が殺到することもありますよね。
放送局が企業として価値観をアップデートする機会を持とうとしないのであれば、画面に出るアナウンサーたちがダイバーシティ&インクルージョンについての知識を身につけていくしかないという危機感もあり、そういったテーマの勉強会もFANでは行っています。
こうやってお話すると「テレビけしからん」と思われる方もいらっしゃると思いますが、今、大手テレビ局の中でジェンダーに関する若手社員の自主的な勉強会なども盛んに開かれるようになっていて、確実に変化は起きています。業界には、問題意識を持ちながらも企画が通らずにいるディレクターや、声を上げづらい環境にあるアナウンサーたちがいます。
なのでみなさん、「良いな!」と思う番組を見たり、固定観念に基づく表現などについてアナウンサーが放送中に適切に対応しているのを見かけたりしたら、「いいね」「応援したいです」とSNSで呟いたり、ぜひメールや電話でお客様センターなどに届けて欲しいです。
これ、ちゃんと現場に届くんですよ!こうした視聴者の声が、制作者・アナウンサーたちを勇気づけ、次の発信に繋がり、良質な番組づくりに繋がっていくはずです。
テレビ離れが指摘される中、テレビ局が「若い世代に狙いを定めた」とするオンライン番組などもありますが、内容を見てみると、昔ながらの感覚で「若い女のコを見せる」作り方をしていることがあります。しかし、SDGsなどに関心が高い今の20代は、そうした作り手の眼差しに敏感ですよね。若さを搾取するような番組では、支持は得られないと思います。
作り手は、「結局、多くの人はこういうのが見たいんだよ」と思っているのかもしれませんが、そもそも、テレビ局が考えるべきは「今どんな変化が起きているのか。どういう社会を、次の世代に残していきたいか」ということではないでしょうか。
イギリスのBBCでは出演者の男女比を50:50にする取り組みが進み、他の国にも広がりつつあります。オーストラリアのABCには、車椅子の記者や視覚障害を持つリポーターがいます。年齢、性別、人種など多様な人が、いろいろな役割でテレビに登場することは、インクルーシヴな社会を視覚化することでもあります。
「いくつになっても、どんな自分でもやれることがある」と見た人が安心できる、多様性を尊ぶ番組づくりこそが、テレビが次の世代に支持され、生き残る道ではないでしょうか。
(湊彬子 @minato_a1 ・ハフポスト日本版)
Source: ハフィントンポスト
誰のための「理想の女性像」か。女性アナが置かれた状況には、日本社会の現状が濃縮されている