数日家を空けていた夫が帰ってきた日、梅雨ど真ん中の一階の部屋は蒸し暑かった。
選択的夫婦別姓を常日頃考え続けている私の脳裏に、「選択的夫婦別空調」を主張する声がよぎった。
強制的に、どちらかの苦痛を強いてまで片方に合わせるだなんて、ありえない。
快適な室温は人それぞれ違う。たとえ、夫婦であっても別個の身体を持つ以上、無理して合わせることはないと思う。そう、別の部屋で過ごしたっていい。しかし、こと「名前」に限っては、夫婦で別の姓を使い続けることは、2021年現在、法律で認められていないのだ。
生まれ持った名前は、私にとってとても大切なものだった。それを失ったということに、8年経ってやっと気が付いた━━。
私の名前は「神田沙織」。「神田沙織」として27年生きてきた。
2013年、法律婚を選んだことで、夫の姓「平本」を選ぶことになり、「平本沙織」になった。
でもその時の私は、名前を失うことがどういうことか、わかっていなかったのである。
「平本さん」━━。銀行で、役所の窓口で、私を呼ぶその呼びかけに反応できない。
「神田さん」と呼ばれて振り返ってみれば、それは私に対してではなく、自分はもう神田さんではないのだと思い知らされた。親しい友人は「沙織」「さおたん」と呼ぶから問題はないのだけれど、10代20代の私を「神田さん」と呼んでいた人との人間関係は、そのうち、減っていった。
旧バージョンとされた私の旧姓は、探してもほとんどどこにも残っていなかった。
唯一残されたのが、法人クレジットカードの名義「SAORI KANDA」。
結婚後、夫と夫婦起業をしたのだが、夫と区別する必要があるため、仕事では旧姓を使い続けていた。銀行口座も健康保険証も荷物の送り先も、新姓に置き換わっていく日常の中で、旧姓を残すべくして残せたのが、自分でデザインできる会社の名刺と、アメリカン・エキスプレスの法人カードだった。
法人カードを作る際、国内大手の他社もあたったが、旧姓でのカード発行は不可、それどころか起業したばかりのベンチャー企業は、与信の関係か法人カードの開設は断られがちだった。
そこに、起業家、個人事業主こそ法人カードを作ってくださいと手を差し伸べたのがアメリカン・エキスプレス。
コールセンターの女性スタッフが案内してくれた「旧姓の記載も問題ありません」という一言は、私が社会に許された唯一の旧姓の通称利用だった。
期限切れのパスポートは、旧姓で取得し、有効期限内に改姓をしたので別ページにその証明が記載されている。新婚旅行でまずフランスに行ったところ、シャルル・ド・ゴール空港の入国管理で航空チケットとパスポートの氏名が違うことを指摘され、「その理由はこのページに」と指し示したのを覚えている。
もちろん、夫は引き止められることなく、先に通過して私を待っていた。楽しく手を取り合って歩き出したはずだが、確かに私はそこで一度、引き止められたのだ。
祝うべき新たな門出には、一点の曇りもないはずだった。しかし、いま改めて振り返ると、当時は気にも留めなかった違和感が頭をもたげてくる。
思い立ったが吉日とたまたま二人とも休みだった平日に、婚姻届を提出しに行った。窓口で「おめでとうございます」と声をかけられながら、「奥様は改姓をされましたので…」と、以下銀行から健康保険証から郵便局まで改姓の手続きについて説明される。あの時、その説明を二人で聞いたのだっけ? もしかしたら、私一人で聞いていたのかもしれない。夫には関係のないことだと当時は思っていたから。
それからしばらく、私はあらゆる書類と格闘することになった。出向いた窓口も5箇所どころではない。
名前が変わったので、新たに印鑑を作ることになった。共働き夫婦として、一定の金額を家計に入れたらあとは別会計だった。でも、印鑑を作り直す費用は、私にだけ発生した負担のように思えて、余計な出費のようで、好みのデザインを選ぶ気持ちにはなれなかった。
結果、やや半ギレで「あなたのせいで私は名前が変わるのだから、印鑑はあなたが作ってきて」とお願いした気がする。夫は、友人の実家がハンコ屋さんを営んでいるのでということで、立派な印鑑を2つ作ってきてくれた。実印用の「平本沙織」と、認印用の「平本」の印。
彼の名字になったんだ。そんな新婚エピソードというよりは、どこにも自分の名前がない不安感に襲われていた。
夫のせいではないはずだけれど、法律により名前を変えた人と変えなかった側の人が微妙にずれた目線のままにスタートを切り、その後の人生を共に歩んでいく。それが私にとっての法律婚、つまり“実質的一択式夫婦同姓婚”だ。
新しい名前になってから3年後、子どもに名前を付けた。「平本」という姓によく合う響きの名前だ。かつて夫の親も、私の親もそうしたのではなかったか。
しかし、女の子の親は姓が変わっても大丈夫なように名付けをするとも聞く。
平本沙織も、悪くない。だけど私は、神田沙織として生まれてきている。
この先、名前が変わることもあるかもしれない。それならば、最初から神田沙織として生きて、神田沙織として終われば良いだけのことではないか?
子どもに名前を教えた。「ママの名前は?」と聞かれたときに、ママにはもう一つ名前があるよ、と教えた。戯れに伝えたその一言に、彼は「それはママのほんとの名前?」と聞き返した。
本当の名前、というパワーワード。
彼とおそろいの名字の「平本沙織」と、生まれ持った名前の「神田沙織」。果たして、自分にとって本物の名前なのだろうか。
どちらが偽物ということではない。ただ、本当の名前、と言われたときにハッとした自分がいた。
自分の親に、パパ・ママといった呼称以外に個人としての名前があると知ったのはいつ頃だったろうか。「私のパパの名前は〜〜で、34歳。ママは29歳」と友達に教えたことがある。4歳くらいだったと思う。父と母の名前や年齢を知ったことが、私が両親と一人の人間として向き合う最初の一歩だったのではないか。私が本当の名前だと信じて疑わなかった神田という姓にも、また失われた母の名前があったことを知るのはずっと後のことだ。
あの時、二人で一緒に結婚をしようと決めて、相談の上で姓を選んだ。
結果的に、世の中の96%の人と同様に、夫婦で夫の姓を名乗ることになった。
世の中の96%の女性がそうしているのだとすると、私が直面する現実も仕方ないことなのかもしれない。残りの4%の、妻の姓を名乗るカップルになれなかったのか、と考えないでもなかった。しかし最近になって思うのは、4%の男性が妻側の姓を名乗っていようが、法律婚をする100%の人々が、どちらか一方が生まれ持った名前と別れる結果となっている。
すべての夫婦のうちのどちらか1人が名前を失っている事実に、めまいがしそうだ。なぜ、そのままの名前で生き続けることはできないのか?
選択的夫婦同姓と同様に、選択的夫婦別姓の人がいる。それなら、現行制度で困っていない人の選択肢を増やすだけで、同姓婚を希望する人に迷惑はかけないと思うのだ。
6月、にわかにTwitterのタイムラインが忙しくなり、夫婦別姓訴訟の判決が出た。
4月に私も賛同した「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」もコメントを発表していた。そこには「司法の最高機関が、多くの国民の不幸と非効率を引き起こし続ける現制度を放置したことが極めて残念です」「すでに世論は賛成多数です」など、静かな怒りの声が並んでいた。
婚姻届に、夫の姓、妻の姓、両方にチェックを入れて、夫婦それぞれが引き続き姓を使い続けることを望む、現在は事実婚の夫婦たち。婚姻届に両方チェックを入れるなんて、自分が結婚した時は思いつきもしなかった。
私には、弟がいるし(弟だって、当然改姓の可能性はあるのだが)、家業など名前を残さなければいけない特別な理由はない。親も了解してくれるので、夫の姓にしよう、そう二人で話し合った。だけれど、そもそも名前を使い続ける特別な理由なんて、必要なかったのだ。ただ、名前を使い続けたい。それだけで十分な理由だと今は言える。
最高裁では、「夫婦がどちらの姓を選ぶかは当事者に委ねられているのだから差別には当たらない」と判断された。50%ではなく、96%の女性が夫姓を選ぶことが、本当に選択肢として当事者に委ねられているのだろうか。社会や親戚の顔色を伺わないと妻の姓を選択できない、その事実を「差別には当たらない」というのか。夫婦同姓婚が女性改姓婚であり続ける限り、男女平等は実現しない。私がやめたいのは、夫との結婚生活ではなく、女性改姓婚なのだ。
今から私が自分の姓を取り戻すとしたら、夫や親族を巻き込む騒動に発展することは目に見えている。この記事ですら夫婦や親戚関係に影響がないとは言い難い。
それでも、私達夫婦の間では、過去に夫の姓を自ら選択した事実があり、その婚姻関係を続けて、子どもも生まれて、今もう一度自分の名前を取り戻したいと願っている私がいるのだ。夫はきっと、その事実には目を向けてくれるはずだ。
私は思う。アイデンティティの最たるものが、名前である。自己を認識し、他者に認識されるための記号だとしても、ランダムに割り振られたIDではなく、唯一無二の意味を持った言葉の贈り物だ。
数字や記号でもって国民を管理しようとも、記号では守れない存在という尊厳がある。
国の判断を、待っていられない。しかし、最高裁が「国会で論ぜられるべき」とした壮大なトピックを、夫婦間で話し合って答えが出るものなのか。
本来、天秤にかける必要がないものを、差し出してしまったこと、それは私の過ちだったのか。いざというときには自分の名前と引き換えに、新しい名前と人生を手に入れる、そんなものはおとぎ話の中でもバッドエンドだ。
自分の名前も、大切に思う人の名前も、お互いが対等に、損なうことなく一緒になりたい。これからも私は、自分の存在とその象徴である名前を守りながら、夫や子どもと共に生きていきたい。同時に、自分の名前をこれ以上犠牲にすることはできない。そして、その二つは決して矛盾しない。
(文:神田沙織/平本沙織 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)
Source: ハフィントンポスト
「それがママのほんとの名前?」旧姓を教えた子どもに聞かれて探し始めた、私の名前