東京オリンピックで途中棄権し、多くの人を驚かせたと同時に、「勇気ある決断」と称えられたアメリカ・体操代表のシモーン・バイルス選手。
実は苦しんでいたときに非公開で練習していた場所があったという。
バイルス選手は8月5日に、その練習の場となった順天堂大学に感謝を伝えるツイートを投稿。
「体操のスキルを取り戻すために、隔離した場所で私に練習をさせてくれた順天堂に永遠に感謝します。日本の人たちこれまでに出会った中でも、特に親切な人たちです」とつづった。
バイルス選手が途中棄権したのは、7月27日に開かれた体操女子団体決勝。
バイルス選手は試合後、棄権は自身のメンタルヘルスを守るための決断で、「心と体の健康を危険にさらさないようにしなければならなかった」と語った。
さらにその後にInstagramストーリーで、思っているように体を動かせなくなる「ツイスティ」という症状を、団体決勝前日に発症したと明かしている。
予想外の事態に見舞われ苦しむバイルス選手のために「練習場所を使わせてくれないか」という電話が順天堂大学・大学院スポーツ健康科学研究科の青木和浩教授にかかってきたのは、棄権の翌日だった。
スポーツ健康科学研究科のある千葉県印西市は、アメリカ女子体操チームの事前キャンプ地で、バイルス選手らは大会前に順天堂大学で練習していた。
事前キャンプで自分たちの役目を終えたと思っていた青木教授らにとって、体操チームからの連絡は予想外だったが、すぐにバイルス選手のための練習環境を整えたという。
オリンピックの「バブル方式」を守るため、青木教授たちは体操部の部員にも協力してもらい、バイルス選手の練習中には体操競技場に誰も入れないようにした。また、移動手段などのルールも遵守した。
さらに、メディアから注目されないよう、バイルス選手のことは学内の数人にとどめるなどして、落ち着ける環境を作る配慮もした。
バイルス選手は、棄権した翌日から3日連続で順天堂大学を訪れ、各2時間練習をした。
青木教授の目に、バイルス選手は落ち込んでいるようにも見えたという。また、コーチやドクターにアドバイスを求めながら一生懸命練習をする姿を見て、「とても困難な局面だったんだなというのがその場の雰囲気から伝わりました」と振り返る。
それでも、バイルス選手はオリンピック最後で、困難を乗り越える強さを見せてくれた。
バイルス選手は、個人総合、跳馬、段違い平行棒、ゆかなど個人種目の出場も辞退したものの、8月3日に開かれた女子体操最後の種目・平均台決勝に出場し、銅メダルに輝いた。
この試合を大学の人たちとテレビで見ていた青木教授は「困難を乗り越えて復活したバイルス選手に、トップアスリートのすごさを感じた」と話す。
銅メダルは、バイルス選手にとっても忘れられないものになった。
平均台の試合後に「このメダルはこれまでのどのメダルよりも素晴らしい。他のメダルより大切にします」と語っている。
また、メダルだけではなく、メンタルヘルスの大切さや「必要な時には助けを求めていいんだ」というメッセージを伝えたバイルス選手の強さも、多くの人から称えられた。
Source: ハフィントンポスト
棄権後に「秘密の練習」をさせてくれた。日本の大学にバイルス選手が感謝「永遠に忘れない」【東京オリンピック】