朝礼ネタ:「見えている」のに「見ていない」
私はハチが大嫌いです。
痛いし怖いし、なのに毎年夏になると家の近くを飛び回るのでうんざりしています。
正直、「ハチなんてこの世からいなくなればいいのに」と思ってきました。
そして小雨の降るある日、ぼーっと部屋から外を見ていると、窓の外側にハチの巣ができていました。
その瞬間は「最悪だ」と思ったのですが、ふと「雨の日はハチって何をしているんだろう」と思い、窓に顔を近づけてみました。
すると、5匹ほどのハチが巣の上でうろうろと動き回っています。
そのうちの一匹をよく見ると、一生懸命に口から大きな水滴をたらしていました。
何をしているのかよく見ると、雨で濡れた巣を一生懸命掃除していたんです。
どうせまた雨で濡れるのに、口で雨水をかき集めて、一滴一滴下に落としていました。
小さい体で、本当に必至に雨から巣を守ろうとしているんです。
私はこれを見て、不覚にも「ハチにもかわいいところがあるんだな」と感じてしまいました。
今まで嫌いでしかなかったハチの、新たな一面を知った瞬間でした。
それと同時に、「自分は『見えているものがすべて』だと思っている」ということも強く感じました。
「見えている」というのはあくまでも「視界に映っている」だけであって、「理解している」ことではないと思います。
そのため、自分の知っていることがすべてだと思いこまず、いつもとは違う視点で物事を見る必要があると感じました。
仕事においても、いつの間にか「見えている」だけで満足していた自分がいた気がします。
さすがにハチのことはまだ嫌いですが、大切なことを学べた1日でした。