「ひとりハレの日」をつくろう。アガるごはんと愛猫との暮らし、猫沢エミさんに聞く

レシピ本というジャンルにもかかわらず、発売からたちまち重版し、著者のInstagramのフォロワーが急増と、話題を呼ぶ本がある。猫沢エミさんの『ねこしき』だ。 

90年代後半にミュージシャンとしてデビューし、「生活料理人」を名乗る傍ら、現在は文筆家としても著書を多数出版する猫沢さん。

Instagramの料理の投稿をまとめた同書の目次には、「ひとりハレの日〜ソーヴィニヨンメロン」や「MAXケの日〜海苔たまサンド」といったメニューが並ぶ。誘われるようにしてページを開くと、レシピとレシピの間には、それらの料理が生まれるに至った物語や愛猫家でもある猫沢さんの猫との暮らし、仕事、パートナーのことなどが綴られる。

2度にわたる大病や経済的な不安、大切な存在との別れを経てたどり着いた「食べることは生きること」━━。日々をよりよく生きるための料理を通して垣間見える、猫沢さんの生き方に「私もこんな風に健やかに歳を重ねたい」と共感の声が集まっている。

「女性の生きづらさが次々と浮かび上がる社会で、どうすれば健やかに生きることができますか?」。猫沢さんに聞いた。

プロフィール:

1970年生まれ。ミュージシャン、文筆家、映画解説者、生活料理人。2002年に渡仏。2007年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー《Bonzour Japon》の編集長を務める。超実践型フランス語講座《にゃんフラ》主宰。著書に『猫と生きる。』(辰巳出版)、『東京下町時間』『フランスの更紗手帖』(ともにパイインターナショナル)など多数。 

Instagram:@necozawaemi 

 

作って食べて元気になって、小さな自信を重ねていく

━━『ねこしき』には、猫沢さんが毎日をよりよく生きるために編み出した、ポテトサラダやスープ、カレーといった日々の食事のレシピと、その料理にまつわる物語が収められています。「はじめに」にも書かれていますが、「食べることは生きること」という考え方にたどり着いたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

4年暮らしたパリから帰国した30代の後半に、子宮の病気が見つかり2回の手術を受けました。それと前後して、自営の会社が傾き、初代相棒の猫・ピキがこの世を去るという心身共にキツい時期があり…。そうした人生の踏ん張りどきに、必ず私を支えてくれたのが日々の「食」でした。

『ねこしき』は、もともと私がInstagramに投稿していた「#猫沢飯」を1冊にまとめたものです。料理の写真とエッセイを投稿する「#猫沢飯」は、ある意味、「今日も食を大切に生きた」ことへの自分の確認にもなっていると思います。

作って食べて元気になって、というサイクルを繰り返すことで、私は小さな自信を重ねてきたんですね。

ひとり暮らしだと、誰も見ていないから食器選びや盛り付けにもこだわらないとか、ややもすると食べなくてもいいやとか、なりがちですよね。

でも、インスタに写真を上げるのであれば、せっかくだからきれいに美味しく作ろう、となりますし、インスタに上がったものは自分からは切り離されて、「今日のごはんは美味しそうだったな。お皿とのマッチングも良かったな」とどこか俯瞰して見ているような感覚になれるんです。もう一人の自分が見ているような感覚です。

心の状態も体の状態も、「今の私はこうである」と受け止めて、喜怒哀楽を放置しないためには、この俯瞰のまなざしを持つことが大事だと思っています。

内面の自由はその人だけのもの

━━ミュージシャンとしてメジャーデビューし、その後独立し、パリに渡った猫沢さん。フランスでの生活や経験は、いまの猫沢さんにどのような影響を与えていますか。

料理にしてもそうなのですが、毎日毎食がんばらなくていい。できる時だけやったらいい。でも私たち日本人はとても真面目なので、毎日やらなくちゃと自分自身にすごく圧をかけるんですね。

そして、気がつかないうちに、その圧を他者にもかけてしまう。だから、とにかく自分に変な圧をかけない。たまには外食を楽しんだり、私はHotto Mottoの「のり弁」が好きなのですが(笑)、テイクアウトして川縁で食べたり、自分を楽に解放してあげることが、自分を幸せにすることにもつながるのではと思っています。

「自由に生きるとは、一体何か?」と考えた時に、その「自由」には社会的な自由と内面の自由の2つあって、大切なのは後者。社会的な自由は仕事での立場だったり、外的な要素に左右されるので、個人ではどうにもしがたいものなのですが、内面の自由はその人だけのもので、その人次第です。自分の気持ちを変化させることでずいぶん変わってくるので、自分が健やかに生きるためのコアな部分になると思うのです。

特に女性は、社会のいろんな場面で内面の自由度を高めていくことで、それが社会全体の生きやすさにもつながっていくんじゃないでしょうか。

コロナ禍で、どこか「我慢することが美徳」のような空気が漂っていますが、我慢ばかりしていては本当に言わなきゃいけない時の練習ができないままになってしまいます。

内面の自由度を高めるには、喜怒哀楽を押し殺すのではなく、「あ、私いまこうやって考えているんだ」ということをひと言でもふた言でもいいのできちんと言語化する。そういう意識を少し持つだけで変わってくるんじゃないかと思います。

 

自分であり続けることの果てにある、私

━━気づけば日々の生活や仕事に追われがちですが、どうすれば「自分がいま何がしたいのか」「自分にとって何が幸せなのか」といった気持ちと向き合いながら、過ごせるでしょうか。

「自分自身であり続けること」はすごく大事だと思っています。

私がメジャーのレーベルでアーティストとして活動していた20代の頃は、音楽業界がアナログからデジタルへと移る一歩手前の時代で、アーティストはメディアによって作り込まれたアーティスト像をまとって表へ出ることが主流でした。女性が発言しづらい空気もあって、私はどこか不自由さというか、居心地の悪さを感じていました。

30歳の時、独立して個人事務所を立ち上げましたが、精神的な意味で自分が自由でいられる道を模索した結果でした。経済的な不安もありましたが、私にとって一番恐ろしいのは誰かに心を縛られることだったので、バイトをするなり、自力でなんとかしていけばいいと思っていました。

実際にフランスから帰国して1年半ほど、ミュージシャン業や文筆業を続ける一方で、収入を安定させるためにお弁当屋さんで働いていました。いま思い返しても、自分の手を動かしてお金を稼ぐという原点に立ち帰れたその経験は、財産です。

どんな時も、自分だけは自分を最後まで信じてあげること。例えば、何もかもうまくいっていない時、自暴自棄になって自分を見放すのではなく、そんな状況の中でも自分が「できていること」を自分自身がきちんと見てあげる、確認してあげてください。

 

大切な存在の「死」との向き合い方

━━猫沢さんは愛猫家としても知られています。3匹の飼い猫は本にもたくさん登場しますが、そのうちの1匹、イオちゃんはこの春に小さな命を全うし、その見送りの過程はInstagramにリアルタイムで綴られました。

イオの病気は『ねこしき』の原稿を書き上げたタイミングで見つかりました。かなり見込みのない癌だとわかり、絶望的な気持ちになったものの、何とかその気持ちを整理しようと、インスタに書き綴りはじめました。

でも一方でその作業は精神的にかなりしんどく、書き始めたことを後悔する自分もいました。

そんな時、フォロワーさんから「つい先日、私も母を看取りました」など、ペットだけでなく、大切な存在の死と向き合っている方からのコメントがたくさん寄せられました。

それぞれの人生の中で、大切な方の看取りだったり、それを通して、じゃあ自分が死ぬときにはどうしたいのか、ということを考えてくださったり…という事実にとても励まされる思いでした。

私はイオを見送る過程で、迷いながらも「決して苦しみを与えない」という選択をしましたが、フランスで暮らした経験から、「死」がきちんと本人の手の中にあるべきという感覚がベースになっていたと思います。

ペットでも人間でも大切な存在の看取りは、病状だけでなく、家族構成や宗教的な問題などによっても、答えが1つに絞り込めない難しい問題だと感じます。しかし、高齢化が進む社会だからこそ、ヨーロッパのようにオープンに話し合いのテーマになるといいなと思います。 

(取材・文:堀あいえ 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版) 

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Source: ハフィントンポスト
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