「意味のあることを言わない」大学広報。ドラマ『今ここにある危機〜』の主人公の鈍感さから私たちが気づくこと

NHKのドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』(土曜日・21時)は、名門国立大学を舞台とするブラックコメディだ。

主人公・神崎真(松坂桃李)は、広報担当の大学職員。テレビ局のアナウンサーから転職した彼は、ことなかれ主義でいつも笑顔を絶やさない。このドラマは、そんな神崎が教員と学生、そして社会から板挟みになるさまを描く全5話の物語だ。

1、2話は、大学の人気教授による研究不正のエピソードだ。それを告発したポストドクター(※)は神崎の学生時代の同級生。必死に不正のもみ消しに走る大学側と、それに対峙するポストドクターと手を貸す学生とのあいだで神崎は右往左往する。

3話は、ジャーナリストの特別講座をめぐる騒動だ。とある出来事で炎上してしまい、大学には抗議の電話=電凸が続き、ついには爆破予告まであって大学側は講座を中止。一方でジャーナリストは、「表現の自由」を訴えて記者会見をし、事態は混迷の度合いを増す。神崎はまたもや板挟みになって右往左往する。

神崎は主人公であるが、役割としては狂言回しだ。彼が特段の能力を発揮して問題を解決するようなことはなく、いつも引きつった笑顔で言われるがままの任務を果たす。3話までは単なる無思想な小市民以外の何者でもない。

※…博士の学位を取得後に任期制の職に就いている研究者のこと。

 

主人公の鈍感さから私たちが気づくこと

視聴者は、神崎を通すことで大学が抱えるさまざまな問題を垣間見る。

任期付きの不安定な立場に置かれるポストドクター、一癖も二癖もある大学教員、学内政治で不正をもみ消そうとしたり、面倒を回避しようとしたりして、さらに炎上してしまう大学。一般企業でもなかなか見られない子供じみたグダグダのガバナンスが全開となる。

しかし、賢い人間が集まった組織が非常に頭の悪い行動をしてしまうのは、もはや日本社会のお家芸だ。その代表例がかの戦争であり、最近なら東芝やシャープなど総合電機メーカーの凋落だ。もちろん、東京オリンピックに突き進む現在も同じ状況にある。

『今ここ~』の神崎は、そうした日本型組織において自己保身ばかりを気にする小市民でしかない。が、だからこそ共感を呼ぶ。みずからの正しさを信じて声を上げることは決してなく、状況を追認してばかり。悪人か善人かと言えば、圧倒的に善人だ。朗らかで人あたりも良く、だれからも愛される。

しかし、そうした自分の「好感度」の維持が回り回って全体の状況を悪くしていることには無自覚だ。視聴者はそんな彼の鈍感さを通して組織の構造的な問題を俯瞰し、「共感」を「気づき」に変える。

 

「わかりあえなさ」に向き合う、渡辺あやの仕事

本作の脚本を手がけるのは、映画『ジョゼと虎と魚たち』や朝ドラ『カーネーション』で知られる渡辺あやだ。

3年前に大学を舞台としたドラマ『ワンダーウォール』(NHK)を発表した。後に劇場公開もされたこの作品も、大学と学生の板挟みとなる職員を主人公としていた。そこで描かれたのも、大学と学生双方にそれぞれ主張があり、そのあいだで揺れ動く主人公だった。

わかりあえないことをわかりあい、しかし協同して生きていく──渡辺あやがずっと描いてきたのは、構造的な問題を抱えながらも前に進もうとするモダンな関係性そのものだった。

ただ、今回の『今ここ~』は『ワンダーウォール』と比べるとかなり毛色が異なる。そこにはアイロニカルな表現も多々見られ、登場人物も癖のある存在ばかりだ。これはブラックコメディとしての演出によるところもあるが、『ワンダーウォール』と比べても(第3話までを観るかぎりは)かなり振り切っているように感じられる。

もちろん1、2話と3話では、その結末で視聴者の認識はかなり揺さぶられている。組織としての保身と、組織に対する個人の勇気をそれぞれ描き出したからだ。よって、残りの話でどのように着地に向かうか(あるいは向かわないか)を視聴者は受け取ることとなる。

 

不祥事が続く「大学」を舞台に選ぶことの意味

一方、本作で注目すべきは、(国立)大学を舞台としていることだろう。しかも『ワンダーウォール』と比べても、運営側の描写が多く学生は(いまのところ)あまり目立っていない。大学組織のグダグダなガバナンスがひたすら描かれる作品とも言える。

これには大きな意義がある。なぜなら、近年不祥事が目立つ業界のひとつが大学だからだ。日本大学アメフト部反則タックル問題、複数の大学医学部の不正入試問題、東京医科大による文部科学省・官僚の汚職事件などがそうだ。また教員の不当解雇をめぐる裁判も相次いでいる。

こうした背景には、大学が置かれているきわめて厳しい財政状況がある。

国からの助成金・交付金は減らされ、国立は業績によって予算までも変えられる。文科省は民間からの外部資金獲得を期待するが、その営業によって教員は授業と研究が圧迫される悪循環だ。入試の高額な受験料や、現在問題化しつつある非入学者からの入学金納入などは、さもしいながらも大学にとっては重要な収入源となっている。

一方、神崎のような職員たちは、大学の意思決定機関である教授会の決定に従うしかない。大学の事務処理は、昭和の役所並みにアナログで非効率なところが多いが(コロナ禍で改善されつつあると思われるが)、それは職員だけの責任ではなく組織としての意思決定が教授会に一元化されているからでもある。大学職員のメリットは、教員とほぼ変わらない高給取りであることだが、現在は非正規の派遣職員も増えている。神崎も5年間の有期雇用だ。

かように、大学業界は「斜陽」と呼べるほどの厳しい状況にある。

 

授業料が高く公的補助の少ない日本の大学

もうひとつ加えると、そうした行政と大学経営の犠牲となっているのが学生だ。

日本の大学は運営費の多くを授業料に依存しているために、国からの補助が減らされれば学費を上げなければならない。英米圏の大学のように奨学金の選択肢が少ない日本は、先進国では韓国やチリと同様に授業料が高くて公的補助(奨学金)が少ない。

よって、学費をみずからアルバイトで稼がなければならない学生は、実習や実験の多い理系や芸術系の大学にはなかなか進学できない。文系大学、とくに経済学部の学生がろくに勉強しなくても単位を取得できるのは、こうした構造的な問題によるものだ。

しかも少子化の一方で大学数(定員)が増えてきたため、一昔前に比べて入学のハードルは格段に下がった。4年制大学への進学率は60%に届きそうなほどだ。つまり、高校でも大学でもあまり勉強しなかった4大卒が年々増加していることになる。

かように、政府-大学-学生の三者の関係は、負のスパイラルを描き続けている。そして「美しいニッポン」を目指した末の高等教育がその惨憺たる成果を見せるのは、現在の学生が社会人として活躍することになる10年後であり20年後だ。

今後の『今ここ~』におけるもうひとつの注目も、こうした大学を取り巻く構造的問題を5話という短い尺でどれほど描いていくかにある。

(文:松谷創一郎 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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Source: ハフィントンポスト
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