アカデミー賞本命『ノマドランド』と『ミナリ』が映す、アメリカの経済・格差・家族

2021年のアカデミー賞、作品賞の本命と囁かれているのが『ノマドランド』と『ミナリ』である。

ともに作品賞と監督賞のノミネートされており、中国出身のクロエ・ジャオ監督、韓国系アメリカ人のリー・アイザック・チョン監督がメガホンを取った。アジアにルーツを持つ監督が撮ったアメリカ映画が、今ハリウッドを語る上では外せない作品になっている。

監督の出自以外にも、2作には共通点がある。それは、主人公が「タイヤのついた家」に住んでいること、そして広大な大地とともに「経済大国」としてのアメリカの姿を描いているという点だ。

1980年代にアメリカという新天地にやってきて、その地に根差し、成功を目指そうともがく移民家族の物語『ミナリ』。2008年のリーマン・ショックを発端に、車上生活者となった白人女性を描く『ノマドランド』。いずれも、アメリカが繁栄の礎としてきた資本主義経済に対し、疑問の眼差しを向けた作品と位置付けることができるのではないか。

 

※以下、『ミナリ』と『ノマドランド』の内容に関する記述あり。

 

アメリカン・ドリームを移民の視点で描いた『ミナリ』

軍事政権下、韓国からやってきた移民一家

『ミナリ』の主人公は韓国からの移民一家で、1980年代にロサンゼルスからアメリカ南部アーカンソー州にやってきて農場を始める。リー・アイザック・チョン監督は1978年生まれの移民2世で、監督の幼少期をもとにした作品である。

1980年代、アメリカではロナルド・レーガン政権が誕生し、韓国では1987年まで軍事政権下にあった時代だ。本作でアジア系アメリカ人として初めてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたスティーヴン・ユァンが演じる父ジェイコブは、農場経営での成功を夢見て、妻モニカ、娘アン、息子デビッドと新天地へとやってくる。ジェイコブが移民となった理由は明らかにされないが、「自由の地」としてのアメリカを求めているように思える。

ジェイコブはモニカ(ハン・イェリ)を半ば騙して、荒れた土地でトレーラーハウス暮らし始める。農業だけでは生計が立たないため、夫婦はひよこの雄雌を鑑別する仕事で日銭を稼ぐが、それでも生活は苦しい。家族を顧みずに農業に没頭するジェイコブに、モニカは翻弄されていく。

1965年の移民法改正以降、韓国からの移民は増加し、当時「毎年3万人の韓国人がアメリカにやってきた」という。ジェイコブは、移民は韓国野菜を買い求めるだろうと、農業に勝機をみる。

当時の時代背景として、アメリカ国内では看護師やエンジニアなどが不足し、専門的な職を持つ移民を積極的に受け入れていたという。こうした人々は例外的にキャリアを積むことができたが、マイノリティである移民の多くは社会的な地位上昇も難しく、自ら商売を始める人が多かった。(参考:『ミナリ』劇場パンフレット、李里花著「アメリカン・ドリームの背景にあったもの」より)

 

「役に立たない」ために燃やされる雄のひよこ

印象的なのは、工場の焼却炉で仕分け後の雄のひよこが燃やされるシーンだ。雄のひよこは、卵を産まず、食用としてもおいしくないため廃棄されてしまう。長男のデビッドが燃やす理由を聞くと、父は「俺たちは役に立たなければならない」と諭す。

その言葉どおり、ジェイコブは農業を通し、アメリカの経済システムの中で自身の有用性(=役に立つこと)を証明し続けようと奮闘する。

ジェイコブの、「何としてでも成功し、一家を支えなくては」と自らにプレッシャーをかける姿は、「家父長制」の象徴でもあるだろう。アーカンソー州にやってきたばかりの頃は笑顔を見せていたが、うまくいかない農業や裏切りによりその表情は次第に曇っていく。ジェイコブのその不機嫌さは、この映画に不穏さを残している。

 

ジェイコブの「暴走」を止めた韓国の母方おばあちゃん

家の中が険悪なムードになるなか、モニカが韓国から呼び寄せたのが、自身の母スンジャである。演じるのは韓国の俳優ユン・ヨジョンで、アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされている。

スンジャは、一家にとって異色な存在だ。事業で成功しようと躍起になる父。子ども2人の成長を願う一方、夫に違和感を抱く母。心臓病を患っていることもあり、「長男」として大切にされる弟。そして、弟の面倒をみる以外の描写があまり見られない姉。旧来的にも思える「家族の役割」を印象付ける一家とは対照的に、スンジャは料理もしないし、テレビでプロレスを見て花札をして、マイペースに過ごしている。

しかし、ジェイコブの行き過ぎた経済至上主義的な「暴走」に、ある行いで、結果的にストップをかけることになるのは、スンジャである。

ひよこが燃やされるシーンは、「役に立たなければ、簡単に排除されてしまう」という、当時から今に続くアメリカ社会の中で移民が置かれた状況を思い起こさせる。「失敗できない」というジェイコブの恐怖や暴走も、そこから生まれたものだろう。

本作は、『大草原の小さな家』のように、アメリカ文化の中で「白人の物語」として繰り返し描かれてきた「アメリカン・ドリーム」を、アジア系移民の視点から新たに位置付けた作品だ。同時に、その「夢」は経済的な成功だけで本当に成就するのか?という疑問の眼差しもあり、どんなコミュニティに根差し、どう生きるかというパーソナルな物語として着地している。

 

移動し続ける白人女性『ノマドランド』

リーマン・ショック後、工場とともに消えた実在の町

リー・アイザック・チョン監督が『ミナリ』で韓国移民が定住する物語を描いたのに対し、クロエ・ジャオ監督の『ノマドランド』は、アメリカの地を移動し続ける白人女性の物語だ。

主演は、2018年のアカデミー賞で『スリー・ビルボード』で主演女優賞に輝き、今回もノミネートされているフランシス・マクドーマンド。原作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド 漂流する高齢労働者たち』で、プロデューサーでもあるマクドーマンドは、自らジャオに監督をオファーした。

本作は、アメリカ西部の路上に暮らす高齢の季節労働者や車上生活者の姿を描く。マクドーマンド演じるファーンがノマドとなったのは、暮らしていた町がなくなったからだ。実在した企業城下町、ネバダ州エンパイアで夫と暮らしていたが、不況のため2011年に工場とともに町は閉鎖され、出て行かざるを得なくなった。その背景には、多くの失業者を生んだ2008年のリーマン・ショックの影響がある。当時、工場の廃業が相次ぎゴーストタウンが生まれ、住宅ローンの破綻によって家を失う人が続出した。

住処を失い、夫に先立たれたファーンは、RV車で寝泊りしながら、仕事を求めてアメリカを移動し続ける。

非消費社会的なノマドの暮らし

ファーンが働く一つが、Amazonの配送センターでの仕事だ。Amazon社は実際に、ファーンのような車上生活者を対象に、繁忙期(劇中では年末年始)に配送センターでサポート業務要員として雇用する「CamperForce」というプロジェクトを実施している。巨大な工場で、ファーンたちは次々と梱包し、商品を出荷していく。

その光景は消費社会の象徴でもある。Amazonの配送センターで働くのは女性が多く、高齢者の低賃金な肉体労働というアメリカの格差社会を彷彿とさせる。

一方、ファーン自身の暮らしは非消費社会的だ。ファーンは生活に必要なものはノマドのコミュニティの中で物々交換し、自然と共存しながら生きている。

ファーンは、自分は「ホームレス」ではなく「ハウスレス」なのだと語る。物理としての「家」はないが、心の拠り所となる「家」はある。リーマン・ショックの影響を受け、中流階級的であっただろう生活や家、代用教員という職を失い、清掃や配送などの肉体労働者となるファーンだが、自らが自由な存在であることに誇りをもって路上で生きている。

 

システムから弾き出された人々

町と夫を失ったファーンの孤独は深く、拠り所になるのは車に積まれた思い出の品々とシェイクスピアの詩と自然だ。ノマドの人々との出会いと別れを繰り返し、次の目的地へと向かう仲間を送り出すファーンの背中が印象深い。

ノマドの暮らしには、危険や窮乏はつきものであり、美しい自然は時として生死に直結する問題となり得ることも指摘される。路上で暮らすことの困難さや、困窮者の置かれた過酷な実態を美化することなく、淡々と映し出している。

フィクションとドキュメンタリーの境にあるような本作の特徴の一つとしてあげられるのが、マクドーマンドと、ファーンが路上で出会うデイブを演じるデビッド・ストラザーン以外の出演者は、俳優ではなく、実際のノマドの人が起用されていることだ。

物語においても、役者であるマクドーマンドとストラザーンと、他のノマドたちは、異なる存在だと示されているのではないか。ファーンとデイブには、身を寄せようと思えば暮らすことができる、立派な「家」と家族がいる。

何度か定住を誘われるが、ファーンはそれを選ばず、アメリカの広大な大地を放浪し続ける。一度社会のシステムから理不尽に弾かれてしまったファーンは、元に生活に戻ることを夢見たりはしない。その意味で、『ノマドランド』は、社会システムから弾き出された人々が、その外側に新たなコミュニティを構築する物語だといえるのではないだろうか。

「アメリカ映画」を受け継ぐアジア系の監督

移民の物語を描いた『ミナリ』は、『クレイジー・リッチ!』や『フェアウェル』に続き、アメリカで暮らすアジア系の人々と共振しあう作品として、広く受け入れられている。

台詞のほとんどが韓国語の『ミナリ』が、アカデミー賞の本命となった背景には、2020年に大旋風を巻き起こした韓国映画『パラサイト』の存在もあるだろう。ポン・ジュノ監督が授賞式で述べた「1インチの字幕という壁を越えられれば、より多くの素晴らしい映画と出会うことができる」という言葉通り、「字幕を読まない」アメリカの映画文化の中にも、少しずつ変化が起こっているのかもしれない。

リー・アイザック・チョン監督と、クロエ・ジャオ監督。今のハリウッドを象徴する2人は、「アメリカ映画」を背負う存在でもある。リー・アイザック・チョンの次作は、日本アニメ『君の名は。』のリメイク版という大作。そしてクロエ・ジャオの次作は、世界的メガヒットを連発する映画スタジオ・マーベルの新作ヒーロー映画『エターナルズ』である。

 

(若田悠希 @yukiwkt/ハフポスト日本版)

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Source: ハフィントンポスト
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Yuki Wakata