ジャーナリストの伊藤詩織さんの監督映画「Black Box Diaries」が12月18日(日本時間)、第97回米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門のショートリストに選ばれた。
性被害の告発後に自身に起きたことを撮影・記録するという、性暴力サバイバーの視点で描いた本作品は、スイスのチューリッヒなど数々の映画祭で賞を得るなど、海外で注目を集めている。
一方、作品をめぐっては、伊藤さんの元代理人弁護士が10月に記者会見を開き、「裁判以外で使用しない」と誓約していたホテルの防犯カメラの映像や、事件を捜査した警察官に無断で撮影・録音した映像や音声が使用されているなどとして、法的・倫理的に問題があると指摘。
「誓約に違反したまま映画で使用すれば、性暴力に関する裁判で今後、証拠の提供をはじめとした協力を得られにくくなり、被害救済の道が塞がれる懸念がある」として、映像の変更などの対応を求めている。
映画で伝えたいこととは。また、元代理人側の指摘をどう受け止めているのか。伊藤さんに聞いた。
━映画の制作は、元TBS記者・山口敬之氏からの性被害を記者会見で告発した2017年から始まっています。制作のきっかけや動機は何でしたか。
最初から映画を作ろうと決めていたわけではありません。
2015年に被害を受けた後、警察では被害届を出すことすらなかなか受け入れてもらえず、やっと受理された後も、等身大人形との再現などの屈辱的な経験を重ねました。さらに、逮捕が現場で突然取りやめになったこともあり、混乱の中で「自分の身を守るために記録を残さなければ」とスマートフォンで日常を記録し始めたのが最初のきっかけです。
記者会見を開いた2017年当時、他の記者の皆さんが「なぜ逮捕が中止されたのか」を追及してくれるのではないかと期待していました。でも、「警察トップが介入した」という情報は教えてもらえたものの、その背景や理由には誰も踏み込もうとしない。次第に「これは自分で取材を進めるしかない」と感じるようになり、カメラを持ち続ける決意をしました。
会見直後に、面識のなかったロンドン在住の日本人女性とスウェーデン人女性が、ネットに広がる誹謗中傷や脅しを見て「この状況では危険だから、イギリスに来た方がいい」と手を差し伸べてくれました。そのおかげでロンドンに移住でき、映画制作に集中できました。
2017年に出版した『Black Box』では、ジャーナリストとしての視点を守るため、感情を記すことは極力避けました。
ただ、被害が起きた後にサバイバーが直面することや、公で話した時に周囲がどんな影響を受けるのかを、「私の靴を履いて一緒に体験してもらいたい」と思うようになりました。人間的でパーソナルなストーリーを伝えることができる手法がドキュメンタリー映画だと私は信じていて、8年かけて映画を制作しました。
━映画を通して伝えたいことは何でしょうか。
性暴力に限らず、どんな暴力やハラスメントも力のバランスが崩れた中で起こると私は思っています。特に性暴力は、社会や権力構造の歪みが背景にあります。この映画を通じて、「性暴力と権力の乱用は切り離せないテーマだ」ということを伝えたいです。
また、私が経験したような「完璧な被害者」というイメージを壊すことも大切です。警察では「もっと泣かないと信じられない」と言われ、記者会見では服装や態度を批判されました。
でも、サバイバーそれぞれに個性があり、人生があります。泣いているだけじゃない。笑ったり、普通に生活したりしていることもあるんです。「被害者らしさ」を押し付ける社会のルールを変えたい。そんな思いも込めています。
━海外での上映を続ける中で、気づいたことはありますか。
この1年間で、世界中の映画館で上映し、観客の人たちと対話する機会がありました。 毎回、上映後に質疑応答などでお話しする中で、多くの人の目の中に様々な悲しみや感傷を感じます。
こんなにも多くの人が似た経験をしているのか、その人たちの愛する人が同じような経験をしているのかと驚きました。被害者に寄り添う法律が整備されている国でも、どんな背景でも、共通する課題があるんだと実感しました。
トロントの映画祭では、2人の男性サバイバーが発言してくれました。アジア系の男性が、家族に告白するまでの葛藤を語ってくれて、「こういった経験を共有するのは本当に難しいんだ」と改めて感じました。
映画を観てくれた方々が「これは日本だけの問題じゃない」と、普遍的な課題として受け止めてくれたことが本当に嬉しいです。
━映画に出てくるホテルの防犯カメラ映像について、元代理人は「裁判以外では使用しないというホテル側との誓約に違反している」と指摘しています。また、捜査員である警察官の音声と映像も無断で使用しているとして、取材源の保護の観点からも問題だと指摘し、内容の変更を求めています。
映画で使用しているホテルの防犯カメラ映像はオリジナルではなく、CG加工して作り直しています。私には、当時ホテルに入った際の記憶が全くなく、この映像は当時の状況を語ってくれる唯一の証拠でした。実際、この映像を見るまでは警察も被害届を受け取ろうとしませんでした。
ホテル側と何度も交渉しましたが、映像の使用許可を得ることはできませんでした。そのため、山口敬之氏の姿やホテルの内外装、タクシーの形状をCGで加工し、新しい映像を作成しました。
ただし、意識を失った私を山口氏がタクシーの後部座席から抱きかかえ、ホテルの入口まで引きずる動きについては、手を加えることは事件の真実を捻じ曲げることになると考え、そのまま残しています。
このシーンを映画に含めた理由は、この映像が社会的に重要な意味を持つと判断したからです。観客の皆さんにも、このようなことが日常生活で起こり得るという現実を知ってほしいです。
また、多くの性犯罪がホテルのような密室で行われるという事実を考えれば、今回のような貴重な映像こそ、防犯カメラの存在意義そのものだと思います。全国の宿泊施設などで、防犯カメラ映像の利用に関する判断基準が、性被害の実態に即した形で検討され、協力体制や防犯体制が改善されるよう願っています。
警察官の音声についても同様に、公益性に値するものだと考えました。警察が誰を逮捕するかという力をどのように行使しているのかは、非常に重要な点だからです。
映画で使用することについては葛藤がありましたが、捜査員個人への配慮を優先すべきか、それとも性犯罪における逮捕の判断の透明性を確保するべきかを考えた結果、後者を選びました。
今回の映画では捜査員の顔は映さず、プライバシーに配慮して声を加工しています。本作は日本とアメリカの双方でリーガルチェックを受けた上で公開に至りました。異議を唱える方がいることも理解しています。ただ、この映画が性暴力や権力乱用に対する新たな議論の一歩になることを願っています。
♢
伊藤さんの元代理人弁護士側は、本作品に関して、
①ホテルとの誓約に違反し、防犯カメラの映像を使用している
②警察官との電話のやり取りや、姿態の分かる隠し撮り映像を使用している
③タクシードライバーの身元が分かる映像を使っている
━という主に3点について、法的・倫理的な問題があると主張している。
その上で、ホテル側から承諾を得る、承諾を得られない場合は防犯カメラ映像を使用しない、映画の中で警察官やタクシードライバーの身元が特定されないようにする、といった対応を求めている。
元代理人弁護士の西廣陽子さんは、ハフポスト日本版の取材に、「裁判以外では一切使用しないというホテルとの誓約を破ることは、証拠が少ない性暴力をめぐる裁判で今後、証言や映像の提供といった協力をますます得られにくくなることにつながってしまう」と懸念を示す。
西廣さんの代理人の佃克彦弁護士は、捜査員の出演シーンについては「警察組織内の秘密を、事件の被害者である伊藤さんに伝えてくれた人で、いわば公益通報者に当たる。映像や音声が流布されれば、身元が特定されるリスクが格段に高まり、情報を漏らした本人だという明確な証拠となってしまう。取材源を危険にさらすことはせず、取材源を守る対応をしてほしい」と求めた。
「Black Box Diaries」の日本での公開は未定。米アカデミー賞は、 2025年1月にショートリストの中からノミネート作品が選ばれ、3月に授賞式が行われる。
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伊藤詩織さん監督映画、米アカデミー賞のショートリスト選出「被害者らしさを押し付ける社会を変えたい」。誓約違反への見解は