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14歳の息子が下した決断。母親として喜びを感じるかと思ったけれど、胸がちくりと痛んだ自分に驚いた

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数カ月前、夏休みの家族旅行中にトラックストップ(日本のサービスエリアに少し似ている)に立ち寄った時のことだ。レストランで食事をしていると、14歳の息子が5年続けてきたベジタリアン生活をやめてまたお肉を食べ始める、と宣言した。

思わず口に入れたばかりの炭酸飲料をテーブルに吹き出してしまいそうになった。

「え?」。飲み物をあごに垂らしながら「どうして?」と聞いた。

私が驚くと思っていなかったのか、「楽になるでしょ?喜ぶかと思ったんだけど」と息子は戸惑った様子だ。

実際のところ、自分でも喜びを感じると思っていた。夕食を2種類作らないといけないことを考えると、気が重かったからだ。でも、感じたのは喜びではなく、ちくりとした胸の痛みだった。

何でも食べる家庭で育った息子が菜食主義者になると宣言したのは、9歳の時のこと。コロナ禍が始まった時に全員が感じた、足元が崩れ落ちていくような大混乱がそういう決断をさせたのだろう。オーブンで焼けるベーコンのにおいをかげば、やっぱりやめたって言い出すと思っていた。

結果は、そうはならなかった。息子はベーコンが焼けるにおいをかぎ、動物のことがとっても好きだから食べられないともっともらしく主張した。

家族のために料理するのは楽しみであったけれど、ベジタリアンの9歳児の食事を用意するなんて想定していなかった。多くの親たちが口にする「親元にいる間は(親のやり方に合わせなさい)」と言うこともできたんだろうと思う。

だけど、小さな息子がほんのわずかだけ持ち合わせた自主性をたたえた目で見つめてくるものだから、「残念だけど、みんなと同じものを食べなさい」と言う気にはならなかった。

息子がベジタリアンになると言い出したのは、わがままからでも、夕食の時間を険悪なものにするためでもないことはよくわかっていたから。子どもたちが言うことを聞いてもらうためにわがままを言うことはそれまでにもあったが、今回はそうじゃなかった。だからこそ、自分の価値観を大切にしたいという息子を尊重したかった。

ケサディーヤ、スクランブルエッグ、パスタは息子が自分で作ることができたが、それ以外は私が作ることになった。

初めのころは、買い物リストに豆腐、植物由来のお肉のような食品たちが並んだ。タンパク質を摂取させるため、ことあるごとにアーモンドを食べるようしつこく迫った。ロックダウン中は「フードピラミッド」で不足している食べ物は親として補ってやらないといけないように感じていた。食卓に並べたものは喜んで食べてくれたが、ナスとカボチャはどんなに味付けを工夫しても、元の形がわからないように他の食材に紛れ込ませても、断固として食べてくれなかった。

コロナが落ち着くにつれて、息子はバスケの試合、音楽レッスンや学校の演劇リハーサルに向かう途中やその合間で食事をとることが増えた。最近では、トレーダー・ジョーズの冷凍食品のチャナマサラやブラックビーンタコスばっかり食べているので、これらの商品がもし販売中止になったら一体どうすればと考えては心配になる日々だった。

友だちと街に出かけて食事でもしてきたらと20ドルを渡すこともある。巨大な容器に入ったバターがかかったポップコーンに使うこともあれば、ジェラートを買うこともあった。そんなの「食事」ではないし、そんなものを食べさせるためにお金を渡したのはではないんだと息子には言ったが、食事を用意しなくていい日があるのは私にとってありがたいことだった。

親であることはそんな矛盾に満ちている。子どもたちにとって最善を望むけれど、してあげられることは限られている。管理はしたいけれど、責任はそれほど。子どもの主体性は9〜13歳ごろに灯る。まるで、流星が地球に向かってオゾン層を突き破ってくるように。親としては衝撃の角度を調整すべく頑張るが、あるところまでいくと身構えることしかできないものなのだ。

夏休みのトラックストップで息子がまたお肉を食べ始めると言った時、そこには大人に成長していく姿があった。まだ顔つきは子どもならではの丸みを帯びていたが、ここ数カ月で身長はぐんと伸びた。その日の朝、笑って息子の腕をつかんだ時も、思ったよりしっかりした二の腕をしていて驚いた。だけど、旅行中の車内でバックミラー越しに見えた後部座席であくびをする息子は、14年前に私の腕の中にいた赤ちゃんの時と同じ口の形をしていた。

息子がまたお肉を食べると決めたことで、私の毎日は楽になる。それは息子にも伝えた。けれど、動物を守りたいんだと熱心に願った少年を失ってしまうことは悲しかった。このことは自分だけの胸にとどめることにした。

トラックストップのレストランから駐車場に向かい、向き合う形で車のドアを開けようした時に息子と目があった。

「さっきも聞いたけど、なんでまたお肉を食べることにしようと思ったの?」。車の屋根に反射した太陽の光のまぶしさの中でまた聞いてみた。

息子は車のドアを開けたまま、考え込み、そして「わかんない」と肩をすくめた。「ただ、そうしようと思っただけ」

もっと詳しく聞きたいとも思ったが、「わかんない」というのは10代からよく出てくる言葉ではないかという思いに至った。さらに追及する前に、息子の方が先に口を開いた。

「マミー、怒ってる?」

「まだマミーって呼ぶんだ」と心の中で思った。普段はマミーって呼ばないように気をつけているのに。息子の友だちはみんな「お母さん」って呼ぶようになっているのに。呼び方を変えてもいいからねって言ってるのに。

整えられていないカーリーヘアと純真な顔をした息子を見つめ、母親からの承認を求めているのだと感じた。

私は息を止め、ふぅと吐いた。子どもは成長していってしまうのだと今一度自分に言い聞かせる母親としての神聖なため息をついた。

「全然怒っていない」と息子に微笑みかけた。「自分のことをわかっているってことで、それってすばらしいことじゃない」と言うと、息子はにっこりと笑い、うなずいた。後部座席に座り、イヤホンを耳に突っ込んで目をつぶった息子を乗せ、私たちは帰路についた。

◇     ◇     ◇

筆者のジェイミー・ルイス氏はワシントン・ポストなどでフード、ドリンク、旅行などについて執筆している。「Consumed」というポッドキャストのホストも務めている。家族とともにカリフォルニア州サン・ルイス・オビスポ在住。

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。     

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14歳の息子が下した決断。母親として喜びを感じるかと思ったけれど、胸がちくりと痛んだ自分に驚いた

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