4年間空腹を感じなかった京アニ遺族。でも平気なふりをした。「遺族はずっと泣いている」ステレオタイプに思うこと

京都アニメーション放火殺人事件で亡くなった渡邊美希子さんが生前に描いた年賀状のイラストと、美術監督を務めた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

日が照りつける昼下がり、庭木の剪定を終えて、シャワーを浴びていた時だった。

渡邊達子さんの自宅に、親族が慌てて駆け込んできた。「京アニが燃えてるって、テレビで…」

目に飛び込んできたのは、制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオが、爆発音を立てて燃える映像だった。

「京都アニメーション放火殺人事件」(2019年)で亡くなった渡邊美希子さんの母・達子さんと兄・勇さんの生活は、ある日突然、事件によって一変した。

中でも空腹を感じなくなったり、微熱が続いたりといった、体調の変化は著しかった。それでも平気なふりをした。だから、「遺族はずっと泣いている」といったステレオタイプに疑問を抱いてきた。

そんな2人の支えになったは何だったのか。被害直後やその後の生活を振り返り、社会やひとりひとりに望まれる社会の変化を考える。

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◆一番望んでいない結果だと察した

京都アニメーション第1スタジオ(2019年7月19日)

京アニには本社と複数のスタジオがある。だが達子さんは「一瞬映った鉄棒らしきもの」を見て、美希子さんが以前、案内してくれた職場だと確信した。

すぐに美希子さんにLINEを送ったが、既読はつかず、電話もつながらなかった。

家族からは「状況がわかるまで、待った方が良いんじゃないか」という意見もあった。だが達子さんは、「とにかく、あの子のそばに行きたかった」。その一心で、親族とともに京アニ本社に向かうと決めた。

電車の中で、達子さんの頭には3通りの可能性が浮かんでいた。「火事だけで終わっている、けが人が出ている、亡くなった人がいる…」

同じころ、勇さんは実家の近くで待つと決めた。達子さんと同様に「飛んでいきたかった」というが、「京アニから電話があるとしたら、実家ではないか」と思ったからだ。

達子さんが京アニ本社の前に着くと、待ち構えていたのは、数多くの報道カメラだった。

「すみません」と掻き分けてドアをたたき、「渡邊美希子の母です」と伝えると、中に入れてくれた。その瞬間、たくさんの嗚咽や泣いている声が聞こえた。だがドアを開けてくれた人が「美希子さんの親族が来られた」と言うと、しん…と静まった。「これはやばいかも知れない」と思った。

案内された2階でしばらく待っていると、病院搬送者リストに、美希子さんの名前がないことが分かった。その場にいてもどうすることもできず、美希子さんの行方が分からないまま、京アニが手配してくれたホテルに移動することにした。

本社から出ると、報道機関に囲まれマイクを向けられた。「現状は?」と聞かれ、「無茶振りだ。知りたいのは私たちの方だ」と言い返したかった。

◆直接は誰も「美希子さんが亡くなりました」とは言わなかった

京都府警本部(2024年7月11日撮影)

翌日、警察から「DNA鑑定をしたい」と電話があり、達子さんは美希子さんの死を悟った。もし無事なら、 本人が連絡してこないはずはない。それでも認めきれない自分がいた。

事件から5日後、警察から鑑定結果が出たという連絡があった。警官からは「遺体は見ない方が良いと思います」と言われたが、「会います」と即答した。

達子さんは当時のことを、「触れるだけで、もっと壊れそうな娘がいた」と振り返る。達子さんの夫は「顔の骨格が美希子や…」と言った。勇さんは「ひどい…」としか声が出なかった。

達子さんはそれまで、心のどこかで「何かの間違いで、美希子はひょっこり戻ってくるかもしれない」という希望にすがっていた。だが遺体と対面したことで、現実を認めざるを得なかった。

こんな形で、子どもに先立たれるとは想像もしていなかった。葬式もしなければならない。達子さんは「一般的な遺体のように『見てやって』と言えるような姿ではなくて。最初に頭に浮かんだのは、『隠さなあかん』という思いでした」と振り返る。

美希子さんの死が確定した後も、日常は当たり前のように過ぎていく。事件被害者の遺族になったことで、さまざまな困難に直面した。

7月末に執り行った葬儀で、メディアスクラムを警戒した警察が会場の見回りをしてくれたことを、後から知った。京都府警はこれまでほとんどの事件で被害者の実名を公開してきたが、京アニ側からの要望を受け、全遺族に実名を公表して良いか確認する方針をとった。

達子さんは、「美希子は何も悪いことをしてないんだから、逃げも隠れもする必要はない」という夫の言葉に共感し、実名の公開を了承した。8月2日に美希子さんの実名が報じられると、数多くのマスコミが自宅だけでなく、親戚の家などに押し寄せるようになった。

◆「カウンセリングに救われた」

美希子さんの描いたイラストや、京アニ作品のポスターなどを飾っている

全国被害者支援ネットワークによると、被害に遭うことで心身に不調を来たす人は多く、そのタイミングや出方はひとりひとり違うという。

達子さんは事件直後に、めまいや耳鳴りを繰り返す「メニエール病」が再発した。事件から4年間は、一度もお腹が空いたと感じなくなり、一時期はひどく痩せた。寝付きも悪くなった。

それでも、平気なふりを続けた。社会には「遺族はずっと泣いている」というステレオタイプもあるが、「実際には、隠そうとする遺族も多いと思います。私がこの5年で泣けたのは、幼い頃の自分を知っている親族の前だけでした」と明かす。

勇さんも当時、妻が2人目を妊娠しており「自分がしっかりしなくては」と思った。だが仕事中に思考力や判断力が落ち、常に37度以上の微熱が続いていたという。

そんな2人の心の整理のきっかけになったのが、警察の被害者支援カウンセリングの制度だった。

達子さんは、家族にも言えなかった本音を吐き出すことができたという。「親バカな私の心は、当然ボロボロになっていたわけで。カウンセラーさんと世間話もしながら、それを認めていけたことで救われました」

勇さんは一度、カウンセリングを断った。「正直に言うと、当時は偏見がありました。仕事仲間や関係先に知られたら敬遠されるかも、という不安もあったんです」と振り返る。だが、精神的に弱っている自分を認めることができ、妻から「目に輝きが戻ってきたね」と言われた。

だが警察庁への取材では、都道府県警の部内カウンセラーは、2023年4月時点で9県警で1人体制となっているなど、十分な人員が確保されていないことが分かった(後日詳細を記事で掲載予定)。

「世の中にはまだ、『カウンセリング=普通じゃない』といった先入観があると感じています。もっとフラットに感じられるようになったり、望んだ人が費用の問題を抱えず受けられるようになったりすると良いなと、実体験を通して感じています」(勇さん)

◆「悪くないと、はっきり言ってくれる周囲の存在」に救われる

達子さんの家に飾ってある、京アニ作品の2024年7月のカレンダー。美希子さんが亡くなった後も、京アニ作品を愛し、グッズを数多く買っている。

事件で経済的な支えを亡くしたり、仕事ができなくなったりして、生活が困窮する被害者・遺族もいる。

その支援策である「犯罪被害者等給付金」制度は、2024年6月に改正され、ほとんどの遺族が1000万円以上を受け取れるようになったものの、金額は十分とは言えず課題は残る(後日、専門家インタビューを掲載予定)。

また、周囲の心ない言動、誹謗中傷などによる「二次被害」も大きな問題だ。2人は「どんな事件の被害者に対しても、誹謗中傷はやめてほしい」と願う。

特に、被害者や家族に落ち度や原因があったかのように責める被害者バッシングは、当事者をさらに苦しめる深刻な問題だ。

達子さんと勇さんは、美希子さんがアニメの道に進む際に背中を押したことを理由に「美希子が被害にあったのは、自分のせいだと思ってしまう時がある」と打ち明ける。

そんな時に支えになるのが、「悪くないと、はっきり言ってくれる周囲の存在」だ。

何もする気力が起きなかった事件直後には、近所の人が草刈りなどで力を貸してくれた。勇さんも「仕事の仲間が気遣ってくれていると分かるシーンが何度もあって、申し訳なさと同時に、すごくありがたいなと思いました」と振り返る。

いつ誰が、被害者になるか分からない。自分たちの経験から2人は、正しい知識を持った優しい人が増えてほしいと思うようになった。そのためには何が必要か。

「被害者について、かわいそうといったイメージやステレオタイプを持つのではなく、どんな実情や困り事を抱えているのか、正しく知ろうとしてもらえたら嬉しいです。そのために、取材を受けている部分も大きいのだと思います」

ハフポスト日本版は、事件や事故などの被害者や遺族の実情を伝え、当事者の実情に合った制度設計や生きやすい社会作りを目指す特集『被害者と遺族の「本当」』を始めました

まずは達子さんと勇さんの記事を、4本掲載します(この記事は3本目)。第1回は報道機関から受けた二次被害やメディアに求めること、第2回は青葉真司被告(一審で死刑判決、大阪高裁に控訴中)の裁判や司法制度について思うこと、第4回は被害者に対する偏見や理想の社会像について取材しました。

【アンケート】
ハフポスト日本版では、被害者や遺族を対象に、被害に遭った後に直面した困難に関するアンケートを行っています。体験・ご意見をお寄せください。回答はこちらから。

 〈取材・執筆=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版〉

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4年間空腹を感じなかった京アニ遺族。でも平気なふりをした。「遺族はずっと泣いている」ステレオタイプに思うこと

Takeru Sato