あわせて読みたい>>伝説のバンド「THE FOOLS」のボーカルは、なぜ月形刑務所で命を落としたのか〜動画に残された死に至るまでの過程
「(前略)死刑になりたいとは思いませんし、死刑になりたくないとも思いません。生かされているうちは生きますし、殺されるときには殺されます。それだけの話です。
確かに苦しいのは嫌ですが、自殺大国日本では年間に約1万人がセルフ絞首刑を執行しており、それを思えば、私のオートマチック首吊り自殺も、残酷であるとは思いません。少なくとも、母親が私にした虐待よりは」
この文章は、秋葉原無差別殺傷事件で7人の命を奪った加藤智大が2021年、獄中で書いたものである(インパクト出版『加藤智大さんの死刑執行』より)。これを書いた翌年、彼は39歳で死刑を執行された。
22年7月26日。
奇しくもその日は相模原障害者施設殺傷事件からちょうど6年という日。そして安倍晋三元首相銃撃事件から18日目というタイミングだった。逮捕された山上徹也と加藤の間には、ロスジェネ、派遣社員といった共通点があった。あの忌まわしい事件から、実に14年が経っていた。
加藤の死刑執行を受け、中島岳志さんと、秋葉原事件を忘れないためにできることはないかという話になった。
中島さんは加藤の裁判を傍聴するだけでなくその足跡をたどり、11年、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』を出版している。
そんな中島さんと、そしてこのテーマでぜひ話を聞きたいと思っていた方々と対話を重ね、このたび、『秋葉原事件を忘れない この国はテロの連鎖へと向かうのか』という一冊が完成した。23年9月4日の発売だ。
4章からなる本書の1章は、私と中島さんの対談。章タイトルは「秋葉原事件の背景とロスジェネの鬱屈」。
2章は私たちに杉田俊介さんを迎えて鼎談。安倍元首相銃撃事件後、山上被告の残したTwitterから、彼が杉田さんの「弱者男性」に関する原稿を読んでいたことがわかっているのだが、そんな杉田さんと「『タテマエではなくホンネでもない本心』とは」というテーマで語った。
3章では、精神科医の斎藤環さんを迎えて「加害者とその救済を精神分析的に考察する」というテーマで、そして4章では芥川賞作家であり、著書『死刑について』で死刑反対の立場を打ち出している平野啓一郎さんと、「『憎しみ』から『赦し』の共同体へ 死刑制度を問う」と題して鼎談している。
ここにはとても書ききれないくらいいろいろなことについて語り合った対談、鼎談。それはあまりにも刺激的な時間だったのだが、本書の大きなテーマはサブタイトルにある通り、「この国はテロの連鎖へと向かうのか」ということだ。
例えば秋葉原の事件が起きる数ヶ月前、茨城県土浦で連続殺傷事件が起きている。逮捕された24歳の男は「誰でもよかった」と供述。これを受けて加藤は事件前、掲示板に「『誰でもよかった』、なんかわかる気がする」と書いている。
また、10年に起きた取手通り魔事件(27歳の男が停車中のバスで中高生ら14人を刺し重軽傷を負わせる)、12年に起きた大阪心斎橋通り魔事件(36歳の男が通行人を相次いで刺し二人を殺害)、16年に起きたイオンモール釧路通り魔事件(33歳の男が相次いで客を切りつけ、一人を殺害)の犯人らは、示し合わせたように「死刑になりたい」とその動機を語っている。
これらを振り返ってもわかるように、ある時期まで、私たちが連想する通り魔犯たちは決まって「誰でもよかった」「死刑になりたい」と口にしてきた。
しかし、この6、7年ほどでフェーズは明らかに変わってきた。
例えば16年に起きた相模原事件。対象は「誰でもいい」わけではなく障害者でなければならなかったし、犯人の植松聖は死刑を望むどころか、事件を起こせば自らが世界から賞賛されると思っていた節さえある。その証拠に、彼は衆院議長に宛てた手紙で「金銭的支援5億円」を求めている。
また、21年8月に小田急線で36歳の男が女性などを襲い10人が重軽傷を負ったが、逮捕された男は「幸せそうな女性」を狙ったと供述。今年7月、懲役19年が求刑されている。
それだけではない。同じ21年8月には在日コリアンが多く暮らす京都のウトロ地区で放火事件が発生。22歳の男が捕まったが、「韓国が嫌いだった」という男は裁判で、放火という手段は誤りだったものの、目的は正しかったと主張している。
22年3月には、立憲民主党の辻元清美事務所の窓ガラスが割られて29歳の男が逮捕されたが、男はそれ以外にもコリア国際学園に侵入してダンボールに火をつけ、また創価学会の敷地に侵入して窓ガラスを割っている。男は裁判で、「立憲民主党は日本を滅亡に追い込む組織」「在日韓国・朝鮮人を野放しにすると日本が危険に晒される」「創価学会も日本を貶める組織」などと犯行動機を語っている。
これらの事件に共通するのは、ターゲットは「誰でもよかった」のではなく、「こいつ(ら)」でないといけなかったと名指していることである。その「敵」が端から見て、どんなに荒唐無稽なものであろうとも。そして植松やウトロ放火の男、辻元事務所の窓ガラスを割った男は、勝手な使命感と正義感に駆られているという点でも共通している。
そうして22年7月、究極の「ターゲットを絞った事件」が起きた。安倍元首相銃撃事件である。また今年の4月には、岸田首相に自作のパイプ爆弾を投げつけた24歳の男が逮捕されている。
加藤の話に戻ろう。
逮捕時、加藤は26歳の派遣社員。青森出身で派遣・請負大手の日研総業から静岡の関東自動車工業に派遣されるという、あまりにも典型的な不安定層の一人だった。
だからだろう。事件直後、当時の舛添厚労大臣は日雇い派遣の禁止に言及し、多くのメディアが事件の背景に派遣労働があると指摘した。
しかし、裁判が始まると、加藤はそれらを全否定。事件の動機はネット掲示板の「なりすまし」であり、派遣切りなどは無関係であると主張。獄中から出版した『殺人予防』などでも一貫して同じ主張を繰り返した。そこには、「絶対に可哀想な派遣労働者、社会の犠牲者なんてストーリーにさせないからな」という強固な意志が滲んでいた。
しかし、21年に加藤が書いた文章からは、不安定雇用が彼の人生に、彼が気づかずとも大きな影を落としていたことが垣間見える。
例えば事件の3日前、彼の職場から彼の「ツナギ」がなくなるのだが(のちに発見される)、その時の心境を以下のように綴っている。
「五月末まで
殺す理由(なし)
衣食住に不自由はせず、リアルにも掲示板にも友人が居る『おおむね満足な生活』。
五月末から六月四日まで
殺す理由(あり)→殺さない理由(あり)
成りすまし行為等により掲示板を壊されたことが動機で、事件を考える。が、衣食住に不自由はせずリアルに友人がいる『おおむね満足な生活』を守るべく、思いとどまる。
六月五日から事件まで
殺す理由(あり)→殺さない理由(なし)
事件は思いとどまっていた。が、工場での作業着紛失の件により、衣食住およびリアルの友人(=『おおむね満足な生活』)を瞬時に失う。よって、思いとどまれなくなった。」
そうしてその3日後、事件は起きる。
「作業着の紛失」という小さな出来事によって、「衣食住およびリアルの友人」という「生活」そのものを瞬時に失うのが前提の暮らし。近い未来の不確実性が異様に高い生活は、本人がどれほど否定しようとも、メンタルの深い部分で彼を疲弊させ、焦らせていたのでないだろうか。
そうして思い出すのは、コロナ禍の3年間、困窮者支援の現場で出会ってきた加藤と同世代の男性たちだ。
これまでの十数年、全国の「寮付き派遣」の仕事を綱渡りのように転々としてきた果てに、コロナ禍で初めてホームレスになったというアラフォー男性たち。
なぜ、彼らが見ず知らずの支援団体に助けを求めてくるかと言えば、10年以上にわたる「定住できない」派遣生活の中、家族や地元の人間関係を失い、また、各地を転々とする中で人間関係を作ることもできず、頼れる先、相談できる人間関係などすべてを失っているからである。
そう思うと、加藤が掲示板にのめりこんだことそのものが、派遣生活の弊害にも思えるのだ。なぜなら、リアルな人間関係がある時は、それほど掲示板に依存していないからである。職場も住む場所も人間関係も流動的になればなるほど、加藤は本格的に掲示板に依存していく。そこだけが、流動的ではない関係性が得られる場であり、居場所だったのだろう。
本書の「あとがき」で、私は以下のように書いた。一部引用だ。
「ふと、私たちの親世代を見ると、『溜め』(人間関係や貯金、企業の福利厚生、相談できる人や頼れる家族などを指す。湯浅誠氏の造語)があったんだなぁ……と遠い目になる。
だからこそ、結婚し、子どもを持ち、ローンを組んで家を建て、子どもに教育を受けさせることができた。地域での人間関係があり居場所があり、『一人前』に扱われてきた。男性は働いてさえいれば、そして女性は結婚さえしていれば、『一人前でない』という尊厳の削られ方をすることはあまりなかったように思う。それはそれで、そのレールに乗れない人にとっては生きづらい社会だろうが、未婚率も非正規雇用率も今よりずっと低かった。
翻って、ロスジェネとそれ以降にはあまりにも『溜め』がない。
『なぜ、困った時に相談できる人もいないのか』
コロナ禍、所持金ゼロ円になった人々への駆けつけ支援がなされているなんて話をすると、たまに年配の人からそう聞かれる。頼れる人がいないのは本人に人格的な問題があるからでは、なんて言われることもある。しかし、彼ら彼女らが『相談できる人が一人もいない』ことそのものが、『溜め』のなさを示している。
親世代が当たり前に手に入れていた『雇用の安定』と『定住』。ある意味で究極の『溜め』なわけだが、それが手に入れられない層が一定数出てきた第一世代が加藤や私も含まれるロスジェネだ。
地元から離れて各地を転々とする生活では、人間関係も流動的でぶつ切りになる。そんな生活が何年も続けば、地元との関係も疎遠になっていく。仕事を求めて各地の『寮付き派遣』を転々とし、半年先、3ヶ月先の自分がどこで何をしているかわからない生活では、恋人を作ることにも前向きになれないだろう。安定雇用と定住が得られない生活は、人から人間関係と居場所を容易に奪っていく。だからこそ、困り果てた時に頼る人さえいないのだ。
そんな『溜め』を少しずつ失っていた加藤にとって、唯一残ったのが、ネットの掲示板だった」
「失われた30年」の中、増え続けた不安定層。
なぜ、彼ら彼女らは連帯し、声を上げないのかという疑問を持つ人もいるだろう。
本書の鼎談ではそれについても語られているのだが、斎藤環氏のある言葉に、私は深く納得した。ひきこもりの例を出し斎藤氏は以下のように指摘する。
「私はいつも、彼らには連帯をしてほしいと思っているんですが、一番わかりやすい例で言えば、ひきこもり当事者は連帯しないんです。なぜしないかというと、お互いに軽蔑し合っていて、『自分はそのへんのひきこもりと一緒にされたくない』という意識が強すぎるからです。だから、同じようにひきこもっているのに全然連帯できない。もし連帯できたら、引きこもりの問題はかなり解決に向かうと思いますけれども、そういう自意識やプライドの壁があって、まとまるのは至難の業という感じですね」
この言葉を聞いて、「まったく同じだ」と思った。何と同じかと言えば、昨今の困窮者支援の現場の光景だ。
15年前、リーマンショックが起きて派遣切りの嵐が吹き荒れ、年越し派遣村が開催された頃、当事者たちの「連帯」的な光景はあちこちで見られた。少なくとも、現場の当事者たちは政治への怒りを共有していたように思う。だからこそ、フリーター当事者の労働組合なんかにも多くの若者が関心を寄せ、デモなどにも多く参加していた。
しかし、いつからか、「当事者同士は同じ場にいても目も合わせない」光景が普通のものになっていた。困窮者支援の相談会や炊き出しなどで、当事者同士で会話をする人はほとんどいない。一方、自分も相談会などに来ている立場なのに、他の人たちについて、「あの人たち、怠けてるだけじゃないですか」「自分はあの人たちとは違うんで」という言葉を聞くようにもなった。
言葉を交わすのは支援者とだけで、あとは無視。コロナ禍以降、特によく見るようになったその態度を名付けるとしたら、やはり「軽蔑」なのだ。だからこそ、斎藤氏から「軽蔑し合って」いるという言葉を聞いた時、思わず膝を打ちたくなるような納得感があった。
軽蔑の背景にあるのは、やはり自己責任論だろう。彼ら彼女らはそれを自分だけでなく他者にも向けている。自分に厳しいだけでなく、他者にも厳しいのだ。そして人は、軽蔑している相手と決して連帯などできない。格差や貧困が深刻化することによって、一時は広がりかけた「連帯」の空気は、それを上回る軽蔑にかき消されている――。政権にとって、なんと都合がいい構図だろう。そんな中、声を上げた者は嘲笑され、引き摺り下ろされるという光景を私たちは見すぎてきた。
なんだが、書けば書くほど絶望的になってくる。が、秋葉原事件から15年、この社会はどう変わり、どう変わらなかったのかについても掘り下げたつもりだ。
『秋葉原事件を忘れない この国はテロの連鎖へと向かうのか』、ぜひ、手にとってみてほしい。
(2023年8月30日の雨宮処凛がゆく!掲載記事「第647回:『秋葉原事件を忘れない この国はテロの連鎖へと向かうのか』 中島岳志さん、杉田俊介さん、斎藤環さん、平野啓一郎さんと語り合った一冊。の巻(雨宮処凛)」より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
『秋葉原事件を忘れない』中島岳志さん、杉田俊介さん、斎藤環さん、平野啓一郎さんと語り合った一冊