この住宅団地の独特さは、他の朝鮮人労働者を対象とした賃貸住宅とは異なり、韓屋団地も含まれているという点だ。当時、日帝の内鮮一体指針に従ってほとんどの賃貸住宅は日本式で建てられたが、京仁企業(株)はオンドル構造の伝統韓屋の形で造成した。富平歴史博物館のソン・ミンファン学芸員は本紙のインタビューで「1940年代に造られた大型賃貸住宅団地の中で、国内唯一の韓屋団地」だとし「2人の朝鮮人建築家が住宅を設計したと聞いたが、韓屋を設計した背景は把握できていない」と話した。朝鮮住宅営団は日本式の建物をこの団地内に建てた。
歴史的な意味のあるところだが、ここは今年中にすべて撤去される。昨年5月、再開発事業組合は富平区から管理処分認可を受けた。住民の相当数が家を離れ、空き家には立入り禁止を知らせる再開発組合のシールが貼られている。再開発区域周辺には新築マンションが建設された。
これによって、営団住宅団地は文書記録としてのみ残る見通しだ。富平歴史博物館は昨年、現場調査を経て『山谷洞87番地、富平営団住宅』1・2巻を発刊した。叢書1巻は営団住宅の歴史・建築・実測・民俗を、2巻は口述・エッセイ・写真資料を中心に構成した。
調査の過程で、日本の植民地時代に造兵廠で働いていた労働者の合宿所の存在を確認したという成果もあった。造成後に数回の改良を経て原型がなくなっていたため、その空間の用途を把握できずにいたが、現場調査を通じてその実体が確認されたということだ。ソン学芸員は「合宿所とトイレ、銭湯などが中央通路につながっており、雨が降っても中央通路を通じて自由に移動できた点が特徴」だとし「実測作業と設計図を比較して、なくなったと思われていた合宿所を探しだせたことが、今回の記録化作業のもうひとつの成果」だと述べた。
イ・スンウク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
1/3(火) 13:49配信
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