駐日イスラエル大使のギラッド・コーヘン氏が、夕刊フジの単独インタビューに応じた。激動の2022年、日本では、安倍晋三元首相が参院選の街頭演説中に凶弾に倒れる未曾有の事件(7月8日)が起きた。
世界各国から弔意が示される一方、国内では暗殺を容認するような言説も飛び交った。コーヘン氏は、深い愛着を抱く日本への思いを語った。
「テロリストには、社会で行動する権利はおろか、発言の機会も与えられるべきではない。安倍氏の事件も経た今、日本はより明確に、厳しくテロと対峙する姿勢を世界に示すときではないか」
コーヘン氏は昨年11月に駐日大使に就任した。ツイッターなどで、日本とイスラエルのニュースや文化、外交活動、身近な話題まで積極的に発信しているが、「テロ」に対する姿勢は厳しい。
今年、象徴的な出来事があった。50年前、イスラエルで約100人が殺傷された「テルアビブ空港乱射事件」などに関与した日本赤軍の重信房子元最高幹部が5月、出所したのだ。
数多くの支援者や報道陣に囲まれる姿をニュースで見たコーヘン氏は、次のように発信した。
《温かく迎えられる姿を見て愕然としました》《理性ある人なら、26人の罪のない民間人の殺害に関与した人々への支援を表明し、祝福することはできないはずです》
事件は1972年5月30日、イスラエル・テルアビブ近郊の国際空港(現ベン・グリオン国際空港)で発生した。日本赤軍の前身「アラブ赤軍」のメンバー3人が自動小銃を乱射し26人が逝去、73人が負傷した。血で染まった空港の光景とともに、この惨事は世界で報じられた。日本赤軍はその後、テロやゲリラ事件を繰り返した。
https://www.zakzak.co.jp/article/20221227-JAWGMJRGQNLMVEJIN3FRPHMU4E/
重信房子氏 「人間ひとりひとりとは必ずチャンネルを合わせられる」
1970年代に中東アラブを拠点に活動を開始し、ハイジャックや大使館占拠事件を起こした日本赤軍。その元最高幹部で、今年5月に懲役20年の刑期を終えて出所した重信房子氏(77)がこのほどインタビューに応じた。
当時の若者の政治的反乱とは何だったのか。約100人が死傷したイスラエルのテルアビブ空港乱射事件をどう振り返るのか。重信氏が、獄中での生活から、現在の日本の景色まで、美術評論家の飯田高誉氏(66)を相手に語った。【構成・平林由梨】
2022/12/27 06:00(最終更新 12/27 11:16)
https://mainichi.jp/articles/20221226/k00/00m/040/185000c
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