ロシアのウクライナ侵攻が始まってから半年以上。
犠牲者が増え続け、多くの都市が破壊される中、ウクライナの国際文化交流機関「ユークレニアン・インスティチュート」が、「ウクライナからの絵葉書」プロジェクトを立ち上げた。
このプロジェクトは、ロシア軍の攻撃で損害を被ったウクライナの史跡や建築物のビフォー/アフターを示す写真を並べて、侵攻の悲惨さや文化の損失を伝える。
さらにユークレニアン・インスティチュートは、文化が破壊されている現状を世界中の人に知ってもらうため、ハッシュタグ「#PostcardsFromUkraine (ウクライナからの絵葉書)」をつけて画像をSNSでシェアするよう呼びかけている。
「ウクライナの絵葉書」が伝える、半年で失われた文化を見てみよう。
リシチャンスク体育館
ベルギーの起業家で慈善家のエルンスト・ソルヴェイが19世紀後半に建てた、ウクライナ東部のリシチャンスク体育館。元々は、重曹工場と従業員たちの居住施設として使われていた。
歴史あるこの建物は5月1日、ロシア軍の攻撃と火災によって破壊された。
ポポフマナーハウス
18世紀後半から19世紀初頭にかけて、最も有名なウクライナ南部の貴族邸宅の一つだったポポフマナーハウス。
地域の歴史そして建築における重要な史跡だったが、ロシア軍は3月7日に建物を攻撃。壁などに損害を与えただけでなく、略奪行為にも及んだ。
タラス・シェフチェンコの記念碑
キーウ近郊にある、ウクライナの著名な詩人タラス・シェフチェンコの記念碑は、ロシア軍によって額部分に損害を被った。
シェフチェンコは、ウクライナの近代文化発展に大きな貢献をした人物であり、記念碑の破壊はウクライナ侵攻の象徴の一つになった。
エイブラム・トレハボブ氏の邸宅
ボルシェビキ革命前に建てられた、マリウポリの実業家エイブラム・トレハボブ氏の邸宅。19世紀後半から20世紀初頭のマリウポリの建築が反映された、歴史的な建物だ。
この邸宅はソビエト連邦時代には病院などの用途で使われ、ウクライナ独立後に元のデザインに戻された。しかし2月24日の攻撃で、邸宅の3つの歴史的建造物が破壊された。
アゾフスターリ製鉄所
ヨーロッパ最大の製鉄所の一つ、マリウポリのアゾフスターリ製鉄所。
ウクライナ侵攻の開始後、ここは多くの女性や子どもを含む1000人以上の市民の避難所になってたが、ロシア軍は何週間も攻撃を続けた。そして激戦地となった製鉄所は廃墟と化した。
フルィホーリイ・スコヴォロダ記念館
ウクライナの哲学者、神学者、そして詩人だったフルィホーリイ・スコヴォロダの記念館は5月7日、ロシア軍の攻撃で屋根を破壊され、建物全体が焼失した。
スコヴォロダは、ウクライナの複数の世代に大きな影響を与えた人物で、作品や愛読書、その他の私物などが、18世紀の建てられたこの記念館に展示されていた。また、近くにある墓には「世界は私を捕らえようとしたが、成功しなかった」と書かれていた。
大型輸送機AN-225
宇宙関連の機材運搬を運ぶ目的などで作られた、ユニークな輸送機・AN-225。1985年に製造が始まり、スピードや、高度、積載量など様々な面で240以上の世界記録を保有している。
この飛行機は3月27日、ロシア軍がキーウ郊外のホストメリを攻撃した際に、破壊され、焼失した。
マリウポリの劇場
1950年代に建設された、マリウポリにある劇場「ドネツク・アカデミック・リージョナル・ドラマ・シアター」。ロシア軍は3月にこの劇場を攻撃し、避難していた子どもや大人たちが犠牲になった。人権団体はこの攻撃を戦争犯罪だと批判している。
ミコライフ州庁舎
19世紀、黒海エリアの造船業の中心だったミコライフ。この街の州庁舎も、攻撃で被害を被った。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。
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「ウクライナからの絵葉書」が伝える悲劇。ロシア軍は文化も破壊している