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30年ぶりに水着を着た。太っている私が感じた喜びと悲しみ

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水着姿の筆者Juliet Jamesさん水着姿の筆者Juliet Jamesさん

焼け付くように暑い7月のある金曜日、私はコロラド州デンバーにあるマンションにいた。

夫のトーマスと私はちょうどこの物件を購入したところで、共通の仲のいい友達に貸すつもりだ。

彼女は私の親友で、離婚を経て新たなスタートを切るためにオレゴン州からデンバーに引っ越してきたばかりだ。

私は暑さで汗だくだが、それは外の気温とは関係ない。このマンションには素敵なプールがあって、私は30年以上ぶり…正確には31年ぶりに水着を着るからだ。

いざ、水着で人前へ

この状況はどの女性にとっても難しいことだろうけど、太っている私にとって、これは最悪の考えだと突然気づき、恐ろしくなった。

しかも、ただの水着じゃない。セパレートの水着だ。

セパレートの水着を着るなんて、2歳以来。もちろんビキニじゃないけど、スポーツブラ(でもファスター付き)とサイクルショーツ(でも紐でサイドを絞れるタイプ)のようなものだ。

この水着は、最後に持っていたヒョウ柄で胸元の開いた、ハイレグ水着に比べたら、大分控えめだと思う。

それでも、こんなに露出したと感じたのは、前回の子宮頸がん細胞診以来だ。

友達のフェイに、やっぱり無理って伝えようかと思った。でも彼女は、翌日のプールパーティーのために、人前で水着になる練習をするために今日来るのだ。それに、彼女から「向っている」とすでに連絡があったし、ビーチボールも用意してくれてるし(私が頼んだ)、プールに入れば、楽しい時間になることは知っている。フェイをがっかりさせたくないし、自分も裏切りたくない。

だから不安に負けずに、即席のカバーアップ(ニットのナイトシャツ)を水着の上から羽織り、深呼吸をして、乱れたポニーテールを直し、リップグロスを塗って、フェイに会う準備を整えた。

彼女に会うと、一瞬で気分が良くなる。まだ緊張してるけど、それほどでもない。プールに殆ど他の人がいないことも救いだった。隣のジャグジーを利用している人が1人と、孫を連れた女性が1人。デッキチェアには、私よりはずっと小さいけど太った人が本を読んでいる。そして彼らはみんな、人前で水着になっている。これなら、私にもできるかもしれない…と思い始めた。

プールエリアに行き塩素の匂いを嗅ぐと、思い出が蘇ってきた…。

私の祖父母は、ずっと地上に設置するタイプのプールを使っていた。祖父はあのプールが大好きだった。でも私は祖父と同じくらい、もしくはそれ以上に大好きだった。

何十年も使用され、私の子ども時代の最高の思い出となったそのプールは、1999年についに老朽化し、夏の雷雨に伴う強風で倒壊してしまった。

その夏が、私が最後に泳いだ夏だった。31年間水着を着ていないだけでなく、23年間プールにすら入っていないのだ。

それでも、塩素の匂いは夏や希望、自由を彷彿させ、私に勇気をくれた。

私はフェイの隣に座り、彼女を見て言った。「3、2、1、でカバーアップを脱ごう」。そしてカウントを始めたが、数え終わる前に私はカバーアップを脱いでいた。私は心の中で「私はおデブなのに人前で水着を着てる、でも何も爆発せず私はまだ生きてる」と叫んでいた。

一瞬で消えた不安と恐怖。見つけた喜び

写真を撮ってもらうために、私はフェイにスマホを渡した。その時点ですでにこのコラムを売り込みたいと思っていたから、写真が必要だった。もし断られても、少なくともInstagramに投稿したい。私のような他の誰かを勇気づけられるかもしれないから。

私は突然、不安と恐怖が全て消えていることを強く感じた。私は水着を着ている。しかも人前で。確かに周りに人は少ないけど、いつもっと人が来てもおかしくない。それなのに、少しも怖いと感じない。それどころか、プールに足を入れた。水温はほぼ完璧。37度を超えるような暑い日に清々しく感じるような冷たさだけど、全く寒くない。

プールの階段を降りながら、ビーチボールに感謝した。長いことプールに入っていないから、何をしていいか分からないのだ。でも最初に写真を撮った後、腰まで水に入ると、思い出が溢れ出した。大好きだったこの感覚…何にも変えられない高揚感を感じた。

プールで泳ぐ筆者Juliet Jamesさんプールで泳ぐ筆者Juliet Jamesさん

フェイもプールに入って来て、私たちはすぐにふざけだした。ビーチボールを始めたけど、私はこの種のことに全く向いてないことを思い出した。

でも水の中にいること、そして泳ぐことに関しては、旅行から大好きな自宅に帰ってきたような気分だ。23年ぶりには感じない。旧友に再会し、本当は何年も会ってないのにたった数日ぶりのように感じる…そんな素晴らしい感覚だ。

その後、嫌な気持ちになるだろうと予測しながらも、撮ってもらった写真を見始めた。身体醜形障害は厄介なもので、もし自分が「完璧」な体型でも嫌な部分を見つけてしまう。私の嫌いな欠点は、ほとんどが体重とは関係ない。それでも、私たちの文化の中では、太っていると、写真に写る自分を見ることに嫌悪感を抱かずにいるのは難しい。その気持ちと闘うため、私は写真をたくさん撮るようになった。

予想に反し、写真を見ても、醜さはどこにもなかった。すぐ欠陥を見つけたりもしなかった。その代わりに、加工なしの純粋な喜び、幸せで輝いている自分を見つけた。これを見て、私はとても嬉しくなったのと同時に、過去の自分に悲しくなった。

体型なんか気にしたこともなかったあの頃

夫のトーマスは、私がこれほど幸せそうに見えたのは、5年前妊娠していた時に、野生のロバが寄ってきて頭を下げたとき以来だと言った。確かにそうかもしれない。

写真を見ながら、私はこの喜びを20年以上も否定してきたのだと気づいた。なぜか?太っているから、もし入る水着があったとしても、着る権利なんてないと思っていたし、人前で泳ぐことなんてできないと感じていた。

この15年間、私は自分の体と食べ物の関係を修復することに励んできた。その間、12歳の時に行った教会のピクニックを思い出すことが何度もあった。そこには豪華なプールがあって、その時だけ開放されていた。

私は女子の中で1番…いや、唯一太っていた。でもそれを気にせずTシャツを上から着ないで水着だけで泳いでいたのも私だけだった。他の子は太っていないのに体型を気にして、それに対して私はとてもイライラしたものだ。

男子がそんな女子たちに呆れていたのも覚えてる。逆に、彼らは私の泳ぎやなんでもトライする精神に感心していた。

自分が楽しんでいたのを覚えてる。自分の体型なんて全く気にしてなかった。体型をカバーすることなんて考えたこともなかった。好きで得意なことを夢中にやっていた。

なぜこの喜びを20年以上も否定してきたのだろう?他人の考えや意見への恐れから?このコロナ禍が何か私たちに何か教えてくれたことがあるとしたら、それは、人生は短く大切で脆く、他の人の考えを気にして無駄にするべきではないということ。

7月に泳いだ時の写真を見ると、私がこの何年も幾度となく憧れた、12歳の頃の自分が重なる。もしかしたら、彼女はずっと私と一緒にいて、46歳の私に「おかえり。久しぶりだね」と声をかけてくれたのかもしれない。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。

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30年ぶりに水着を着た。太っている私が感じた喜びと悲しみ

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