海部俊樹元首相が死去。政治家としての歩み、写真とともに振り返る

第76代首相を務めた海部俊樹氏が、1月9日に死去していたことがわかった。91歳だった。松野博一官房長官が1月14日午前の記者会見で明らかにした。

松野氏は会見で、「海部俊樹元総理が1月9日に逝去されました。海部元総理は平成元年8月に内閣総理大臣に就任され、湾岸戦争勃発など、激動する国際情勢の中で、多くの政策課題に力を尽くして取り組まれました。国民の皆様とともに心から哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と述べた。

政治家としての歩みは?

海部氏は政治家としてどのような歩みをたどったのか。写真とともに振り返る。

海部氏は1931年、名古屋市生まれ。早稲田大学では、多くの政治家を輩出してきた「雄弁会」に所属した。

1960年の衆議選に旧愛知3区から立候補して初当選。当時、29歳だった。2009年に落選するまで16回連続で当選した。

三木武夫内閣で官房副長官を務め、福田赳夫内閣と中曽根内閣で文部大臣(当時)を2回務めた。

1989年8月、参院選に惨敗して退陣した当時の宇野宗佑首相の後継として首相に就任。初の昭和生まれの首相だった。当時最大派閥だった竹下派の支援を受け約2年3ヶ月間務めた。 

首相在任中、1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸戦争が勃発。多国籍軍に約130億ドルの資金を提供した。停戦後には、自衛隊初の海外任務として、海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣した。

1991年9月、小選挙区制度の導入を柱とする政治改革関連法案を国会に提出したが廃案となり、同11月に退陣した。

1994年に自民党を離党。同12月、小沢一郎氏や羽田孜氏らと新進党を結成し、初代党首を務めた。2003年に自民党に復党したが、2009年の衆院選で落選し、政界を引退した。

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