「完璧じゃないからこそ社会課題に向き合い続ける」辻愛沙子さんが発達障害をオープンにして発信する理由

社会で活躍し、存分に自分の持つ力を発揮しているように見える人でも、発達障害の特性ゆえに見えないところでは大きな苦労を抱えていることがある。

辻愛沙子さんも、そのひとりだ。  

「社会課題をクリエイティブで変えていく」arca代表としてクリエイティブディレクターの仕事に取り組むかたわら、報道番組『news zero』の水曜パートナーを務めるなど、さまざまなメディアで発言・発信をしている。2021年6月には、大人のための学び場「Social Coffee House」を立ち上げるなど精力的に​​活動するが、ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の特性を持つ当事者でもある。

特性に由来する困難や生きづらさ、発達障害をオープンにして発信することの意図について、辻愛沙子さんに語ってもらった。 

「困りごと」が連鎖していく

私はADHDの傾向が強く、ASDの特性もあります。生来の熱量に、衝動性や多動性がくっついた結果として、いつも走り続けていて、常に疲弊している状態です。

どこまでが性格で、どこからが特性なのかわからないのですが、スマホやお財布、家の鍵といった大事なものを何回も無くしていて…。(AirPodsの蓋を開けて)あ、今日も片方ないですね(笑)。

ほかにも、銀行口座から公共料金が引き落とされているかどうかを確認するときに、通帳が見当たらず、その通帳を再発行するためには印鑑が必要で、そうすると印鑑がどこにあるかわからなくて詰む。そんな風に「困りごと」が連鎖していくのが本当に大変です。

いまはADHDに対して効果があると言われている薬の服薬などで対処しながら、活動しています。

「居場所がない」と感じていた学生時代

発達障害の診断を最初に受けたのは、中学2年生のときでした。中2から高校卒業まで海外に留学していたのですが、留学前に診断を受け「そんなこともあるんだな」「変わってるところなんて人それぞれあるだろう」くらいに思っていました。

でも、今考えてみると生きづらかったことは学校のなかでもたくさんありましたね。

これは今もそうなのですが、生活圏内に木目のものを置くのがものすごく嫌という謎のこだわりがあって。木目調のインテリア自体は好きなので、ホテルや友人宅では素敵だなと思うのですが、自分の生活圏内にあるとなんだか落ち着かなくて眠れなくなってしまうんです。

留学していたとき、備え付けの机のふちが木目でどうしても我慢できなかったことがあって。でも、寮生活だったので、自分のお気に入りの家具を置くこともできず、外出も週末しか許可されていなかったので、すぐにペンキを買うこともできない。そこで、アメリカによくある大きな瓶の修正液で塗ることを思いついて。

いま考えると狂気の沙汰なんですけど、電気が落ちた寮の部屋で、夜な夜な机のふちを修正液で塗りつぶしていました。 

そんな謎のこだわりも、特性によるものだったのかもしれません。それでも、10代の頃はそんな特性も辻愛沙子の “個性”として認識してくれる家族や友人が周りにいたこともあり、発達障害そのものを意識することはほとんどなかったように思います。

大学で日本に帰ってきたころには、発達障害のことはすっかり頭から抜けていました。でも大学の履修計画は本当に大変で。スケジュール管理はいまでも苦手ですが、大学時代を振り返ると「よくやってたな」と思います。じっと座って授業を受ける大学生活では刺激が足りず、それで在学中に広告会社のインターンを始めました。

学生時代を振り返ると「自分自身の居場所ってどこなんだろう」と思い続けていた気がします。友だちはいるし、すごく幸せな環境にいて楽しいことは楽しかったのですが…。ずっと「自分自身の居場所がない」と感じていました。

外から見るとそうは見えないかもしれませんが、根本は内向的で、集団生活が苦手。大人数のなかにいられない。

思い立ったらすぐにアクションを取りたくなってしまったり、夢中になると周りが見えなくなってしまう傾向を自覚しているが故に、いろんな瞬間で「相手に迷惑をかけてしまうかもしれない」「嫌な思いをさせたくない」と思って、自分から距離を取る癖があったように思います。

会話ひとつとっても、“文化とは何か”とか、政治やジェンダーの話とか、自分がその時に興味を持って考えていることは無限に話せるけれど、なんてことない日常会話やちょっとした雑談がとにかく苦手だったりする。気軽な会話ができないが故に、相手にとって心地良かったり楽しんでもらえるような話ができない、という勝手な申し訳なさや苦手意識があります。 

私自身が特性によって感じる不便以上に、私の特性によって周囲の人たちに大変な思いをさせてしまっているのではないかという申し訳なさが、少しずつ自己肯定感を削り、気持ちが落ち込んでしまう。それが一番きついんですよね。周囲に対する「申し訳ない」という気持ちや「普通でありたいという気持ち」はいまでも常に心のなかに持っているように思います。

ですが、ピアスがバチバチに開いていて髪の色が派手だったりすると、発達障害の話をしても「意外」とか「またまた〜、人付き合い得意そうに見えるよ」とか、「みんなそれぞれ個性があるから大丈夫だよ」という一言で片付けられてしまうことも少なくありません。

それが愛情だということもわかっていますが、余計に自己開示がしづらくなって心の距離をとってしまいがちです。外見やイメージから認識される自分自身と、生きづらさを感じる部分も含めた自分自身との間にギャップを感じることは結構多いように思います。

優先順位の最下位に「自分」がいる

一方で仕事の場では、周りと足並みを揃えなければと怯えることなく、自分が持っている興味や熱量を120%大爆発させて取り組んでも、 “仕事熱心”としか捉えられない。むしろ、クライアントさんやコンテンツを届けた先のお客さんが喜んでくださる。

全力で走っていいんだという開放感で、 “人生で初めて息ができる場所がある”とどんどんのめり込んでいくようになりました。翼を折らない大人たちに恵まれたんだと思います。

そんな形で、インターンから入った会社に大学に在学したまますぐ入社して、寝ても覚めても仕事に熱中する日々でした。

時を経てクリエイティブディレクターになり、仕事の密着のご依頼をいただいたりと次第にメディア露出が増えていきました。「表に出る仕事をしよう」と決めたわけではなく、ことの成り行きに身を任せていくうちに、偶発的な出会いの連続でいまに至っています。

いわゆる「セルフブランディング」しているように見られますが、自分自身がどう見られるか、どうなりたいか、みたいな戦略的な生き方の真逆にいるように思います。非常に動物的というか、社会にとって今これが必要だ!みたいな感覚的な生き方をしてきたなと。

なんなら、私の中では優先順位の最下位に自分がいるんです。仕事に夢中になって、睡眠を後回しにしてしまったり、ご飯を食べ忘れる、お手洗いに行き忘れる…。寝ないとエネルギーがなくなるので、ご飯を食べる元気がなくなって、ご飯を食べる元気がなくなると、さらに力が出なくなるので、お風呂に入る元気がなくなって、お風呂に入らないと衛生という概念がなくなって、お手洗いに行かなくなるみたいな(笑)。やっぱり連鎖してますね。

会社を立ち上げて自分1人の体じゃないなと思うようになってからは、ほんの少しずつ改善する努力ができるようになってきたかな、というのが現状です。

また、多動でやりたいことが無限にあるので、時間が少しでもできると衝動的に動き始める癖もあります。最近では、衆議院選挙のタイミングで一般社団法人 GO VOTE JAPANを立ち上げ、投票率を上げるための活動をしていました。

普通は、時間が空いたら休むし、仕事が終わったらご飯を食べて、寝る。でも、私の場合は生活的なものが衝動的に湧き上がらないので、生活の優先順位が低いまま、やりたいことに向かっていってしまいます。

とにかく、あらゆることが極端なんです。成績表も、学年1位と最下位の科目が混在していました。どちらも真面目にやっているんですけど、あるひとつの科目で良い結果を出すと、それが基準値と思われるので、できない部分は理解されにくい。

そんな自分ですけど、人を傷つけない限りできるだけわきまえたり自分自身を取り繕うようなことをせず、オープンに行動や発言をしたいと思っています。例えるなら、丸裸で道の真ん中で寝ているくらい、どの自分も100%素の「辻愛沙子」です(笑)。 

ADHDやASDのことも、隠さずそのまま発信することで、同じようにしんどい思いをしている人が「あ、1人じゃないんだ」と少しでも楽な気持ちになったらいいなと。

「しんどいけど、お互いがんばろうな」

だからこそ、私に“正解”を求められることには、違和感や危機感を感じることが多いです。

選挙のタイミングになると「どの党に投票したらいいですか」「誰に投票したらいいですか」とDMがたくさん届きます。ADHDをカミングアウトした時にも、同じ悩みを抱えている方から「私はどうやって生きていけば楽になれるのでしょう」というような相談や質問を頂きました。

選挙も生き方も、私のなかで現時点での解のようなものは、迷いながら見つけて行動しています。でも、私の解はあくまで私にとっての答えであって、あらゆる人に共通する普遍の正解が存在するわけではない。人それぞれ大事にしている価値観も、感じている生きづらさも当然違うからです。

普遍の正解」のようなものが社会のどこかにあると信じてしまう状態は、特に発達障害などの凸凹がある人たちにとっては生きづらい社会かもしれません。

先ほどお話ししたように、私が発達障害のこともオープンに話しているのは、10代の頃の私がこういう大人の存在を知っていたら、何か救いになっていただろうなと思っているからです。

特性によって生きづらくて居場所がないと感じている人が1人じゃないと思えたり、特性を理由に自分の可能性に蓋をしてしまいそうになった時に、同じ特性を持っていても進んでいけるんだという1つのサンプルになれたらという気持ちで日々努力しているところはあるのかもしれません。

「隠すような恥ずかしいことではない、これも含めて私自身なんだ」とケロッと表で語っていくことで、発達障害をタブー視する風潮に少しでも違う風を吹かせていけたらと思っています。

何より当事者は、社会生活のなかで自己肯定感を折られまくるじゃないですか。私自身もそんな折れそうになった瞬間に、「しんどいけど、お互いがんばろうな」と思いながら、いつも発信しています。

私みたいに頻繁に財布をなくしたり、自分のスケジュール管理や片付けすらうまく出来なかったりする人間でも、そのぶん自分自身を信じて得意なことに身を投じることで誰かの役に立つことができる。社会についてだって当然真剣に考えることができるし、何より、どんな人にだって考えることは許されている。

完璧な自分じゃないからこそ、「社会には人それぞれの痛みがある」という前提に立ち、「どんな人だって自分自身で考えようとさえすれば、社会に向き合うことができる」という感覚で社会課題と向き合い続けているんだと思います。 

 (取材・文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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