「患者が死ぬのを待つ」を壊すのは今。映画『MINAMATA』に、アイリーン・スミスさんが願うこと

「過去の誤りをもって、未来に絶望しない人びとに捧げる」(写真集『MINAMATA』より)

日本の四大公害病の一つ、「水俣病」を世界に伝えた写真家ユージン・スミスさん(1918-1978年)。彼の遺作となった写真集をもとにした映画『MINAMATA-ミナマタ-』が、9月23日から全国公開される

ユージンさんの元妻アイリーン・美緒子・スミスさんは、ユージンさんとともに熊本・水俣で3年間暮らし、水俣病患者や家族たちを撮影し続けた。当時のユージンさん本人や水俣を知る一人として、今回の映画にも協力。監督やプロデューサーと水俣を訪れた。

水俣病の公式確認から65年。患者認定をめぐる訴訟は今も続き、多くの被害者は救済されず、水俣病問題は解決していない。

水俣病に深く関わった者として、映画公開を前に何を思い、水俣病や世界の環境問題をどう見ているのか。アイリーンさんに聞いた。

 

「客観はあり得ない」貫いた信念

アイリーンさんは1970年、富士フイルムのコマーシャル制作の仕事に携わり、アメリカ・ニューヨークでユージンさんと出会った。二人は翌71年に結婚し、水俣に移住。水俣病におかされた患者たちや家族の日常、原因企業チッソと闘う彼らの姿を写した写真集『MINAMATA』を75年にアメリカで出版(後に日本でも出版)し、水俣病を世界に知らしめた。

映画では、俳優の美波さんがアイリーンさんを、ジョニー・デップさんがユージンさんを演じている。

映画の製作にあたり、アイリーンさんは「患者さんの苦しみ、ユージンのジャーナリズムの信念などを、当時現場にいた一人として監督に伝えました」と振り返る。

「実際に起こった出来事、患者さん一人一人の個性や苦しみ、美しさ、そしてユージンという人間の生涯が、映画を通してより多くの人に伝わるきっかけになることが私の願いだからです」

ユージンさんが持ち続けた、ジャーナリズムの信念とは何か。写真集『MINAMATA』の冒頭で、本人がこうつづっている。

<ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は「客観的」という言葉だ>

「(1971年に)水俣に行く前の年の秋、ユージンは回顧展の準備をしている間に、自分の信念について熱く語っていました。彼が私に伝えたのは、『ジャーナリズムに客観というのはあり得ない』ということ。取材する側にも、一人ひとりのバックグラウンドや文化がある。客観的になっている、と言う人は自分にも他人にも嘘をついている。主観しかないからこそ、主観を通してよりフェアに物事を見るように意識し、できる限り真実に近寄るように伝えるのがジャーナリズムの仕事だと語っていました」(アイリーンさん)

<水俣病とは>

メチル水銀により中枢神経を中心とする神経系が障害を受ける中毒性疾患。「新日本窒素肥料(後のチッソ)」水俣工場が海に流した排水にメチル水銀が含まれ、食物連鎖で魚介類に蓄積された。汚染を知らずにこうした魚介類を食べた人たちに病が広がった。

主な症状に、手足のしびれ、感覚障害、言語障害、視野狭窄などがある。

1956年5月1日、水俣湾の近くに住む5歳と2歳の姉妹が原因不明の病にかかり、水俣保健所に報告された。この日が水俣病公式確認の日とされている。

胎児性患者への思い

水俣病の公式確認から65年。水俣病やユージンさんの半生を描く映画がいま公開されることを、アイリーンさんはどう感じているのか。

「この映画は水俣病も、世界の公害問題も終わっていない、現在進行形なんだとエンターテインメントを通して気づかせてくれる。それは映画の最後に流れる、世界中の公害や環境問題の写真資料からも伝わります。温暖化をはじめとする環境問題が深刻化し、注目が集まる中、この映画の公開はとてもタイムリーだと思います」

ユージンさんとともに初めて水俣を訪ねてから、ちょうど半世紀がたった。アイリーンさんは、今も水俣に通い、患者たちとの親交が続く。

なかでも強いつながりを感じているのは、胎児性水俣病の患者たちだ。胎児性の患者は、母親の妊娠中、胎盤を通じてメチル水銀の影響を受けた。

「胎児性の患者さんとは、彼らが10代の頃から知り合いで、今はお互いを見守り合う関係です。結婚したかった、子どもがほしかった、好きな仕事をしたかった。そういう希望を病によって奪われてきた人たちが、生きていて良かったと思え、これからの人生で実現したいことを叶えられるよう、福祉面のサポートが十分に受けられることを強く望みます」

 

壁を打ち崩す映画の力

現在は環境活動家として、市民団体「グリーン・アクション」の代表を務めるアイリーンさん。水俣病との関わりが、活動の原点にあるという。

今も心の支えとなっているのが、チッソの損害賠償責任を認めた1973年の熊本地裁判決だ。

「患者さんが立ち上がって闘い、支援者がいて、ジャーナリストや弁護士、裁判官がいて。様々な人たちがそれぞれ素晴らしい動きを見せたとき、新しい風を巻き起こせるんだと知りました」

水俣病は終わっていない。繰り返し、そう言われてきた。

水俣病の症状や、汚染された魚を多く食べたといった過去の事実はあるものの、患者の認定基準の厳しさから多くの人がいまだに救済されず、国などを相手に裁判を続けている。

水俣病被害者救済特別措置法(特措法)が規定した不知火海沿岸住民への健康調査も、環境省は法施行から10年以上たってもなお着手せず、遅々として進まない

被害者救済をめぐるこうした現状に対し、アイリーンさんは、映画によって大きな動きが巻き起こることを望んでいるという。

「認定基準を厳しくしてできる限り門戸を狭め、患者の数を増やさないようにする。まともな疫学調査をいつまでもせずに長引かせ、患者たちが死ぬのを待つ。国や県のこのような対応を打ち壊すのは、今だと思います」

「映画で面白いのは、これまで水俣病に関わることがなかった人たちも巻き込み、異なるタイプの人々が色々な反応を示し得ること。長い間崩せなかった問題に新しい展開が生まれ、物事が大きく動くチャンスになるのではと期待しています」

<水俣の状況にかかわる正と悪とを振り返って、いま私たちはこの本を通じて言葉と写真の小さな声をあげ、世界に警告できればと思う。気づかせることがわれわれの唯一の強さである>(写真集『MINAMATA』より)

遺作に込められた写真家の思い。46年の時を経て、再び光が当てられようとしている。

 

<アイリーン・美緒子・スミス>
1950年 東京で生まれる。アメリカ人の父と日本人の母をもつ
1968年 スタンフォード大学に入学
1970年 富士フイルムのコマーシャル制作に携わり、ユージンと出会う。翌71年に結婚し、水俣に移住
1991年 環境市民団体グリーン・アクションを設立。現在も代表を務める

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Source: ハフィントンポスト
「患者が死ぬのを待つ」を壊すのは今。映画『MINAMATA』に、アイリーン・スミスさんが願うこと

Machi Kunizaki