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ゴッホ展の見どころは?「黄色い家」も公開。今に至る人気の立役者、その情熱に迫る【画像集】

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フィンセント・ファン・ゴッホ 《夜のプロヴァンスの田舎道》 1890年5 月12-15 日頃

世界で絶大な人気を誇るフィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)。その生涯をたどる「ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」が、9月18日から東京都美術館で開幕する。

タイトルにある「ヘレーネ」とは、ゴッホ作品の世界最大の個人収集家であるヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869〜1939)のことだ。同館によると、ヘレーネに焦点を当てたゴッホ展は国内初という。

日本ではほとんど知られていない一人の収集家に、なぜスポットを当てたのか?展覧会の見どころは?同館学芸員の大橋菜都子さんに聞いた。

 

立役者としてのヘレーネ

美術の講義を受けたことをきっかけに、近代美術やゴッホに強い関心を抱いたヘレーネは、1908年から約20年間かけてファン・ゴッホ作品を集めた。コレクションを公開し、後世につなごうと1938年にクレラー=ミュラー美術館(オランダ)を設立。ファン・ゴッホ美術館と並んで、世界の二大ゴッホ美術館に位置付けられている。

ヘレーネ・クレラー=ミュラー

だが、ヘレーネの日本での知名度は決して高くない。今回、なぜあえて彼女に注目したのか?

「ヘレーネは、ゴッホがそれほど広く評価されていない20世紀初頭に、ゴッホ作品を数多く集めて美術館で公開し、多くの人がゴッホ作品に触れる機会をつくった人。今に続く世界的なゴッホ人気の立役者の一人なんです。私たちが今、100年以上前に描かれたゴッホの絵画を楽しむことができるのは、それを集めて大事に残し、後世につないだヘレーネのような人々がいたからこそ。これまでのゴッホ展とは少し違う切り口で楽しんでいただくためにも、収集家としてのヘレーネにも焦点を当てたいと考えました」(大橋さん)

 

「転換点」に置かれたゴッホ作品

ヘレーネはゴッホ作品を中心に収集したが、それ以外の芸術家たちの絵画も多数集めた。

今回の展覧会では、農民画で知られるジャン=フランソワ・ミレー、印象派のピエール=オーギュスト・ルノワール、新印象派のジョルジュ・スーラなどの19世紀半ば〜1920年代までの作品も見ることができる。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール 《カフェにて》 1877年頃ジョルジュ・スーラ《ポール=アン=ベッサンの日曜日》1888年

「ヘレーネは美術館をつくりたいという夢を持ち、自分の趣味だけで作品を選んで集めた人ではありませんでした。収集家となって早い段階から、人々に芸術作品を紹介して後世に伝えようという意志を持っていたので、体系的にコレクションを作っています」

ゴッホ以外の作家のコレクションから、「ヘレーネはゴッホをどう考えていたのか」が読み取れる、と大橋さんは話す。

「19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、目の前の世界をそのまま描く写実主義から、人の内面、感情、精神といったものに重きを置く方向へと絵画が移り変わっていきます。ヘレーネは、そのちょうど転換点にゴッホを位置付けていたのです」

オランダからパリ、理想郷「日本」を求めて南仏へ

聖職者を志すも挫折したゴッホ。画家となる決意をしたのは27歳の時だ。

展覧会では、画家を目指して素描を始めた初期から、精神病に苦しみながらもキャンバスに向かった晩年まで、ゴッホがオランダやフランスの各地で残した52点の作品が公開される。

親戚の画家アントン・マウフェから手ほどきを受けつつ、油彩画を描き始めたオランダ時代の作品『麦わら帽子のある静物』。

ヘレーネが最初に入手したゴッホ作品で、日本初公開となる『森のはずれ』も展示される。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦わら帽子のある静物》 1881 年 11 月後半-12 月半ばフィンセント・ファン・ゴッホ 《森のはずれ》 1883年8-9月

画家になったばかりのオランダ滞在時、ゴッホはバルビゾン派やハーグ派の画家たちを手本に、暗い色調の絵を描いていた。

1886年、弟テオの暮らすパリに移り、印象派や新印象派、そして明るい色彩の日本の浮世絵版画と出合うことで、ゴッホは技法や題材、色調を一気に刷新する。

「『レストランの内部』は、新印象派の色彩理論に基づいた(細かい点で表現する)点描技法を取り入れて描いたものの典型です。カフェやレストランは、印象派の画家たちが好んで描いた主題で、オランダ時代のゴッホ作品にはなかなか見られません。パリへと場所が移ったことで、主題も描き方も大きく変わったことが分かります」

フィンセント・ファン・ゴッホ 《レストランの内部》 1887年夏フィンセント・ファン・ゴッホ 《石膏像のある静物》 1887年後半

画家人生の展開をたどる

パリで浮世絵版画に惚れ込んだゴッホは、空想上の理想郷で、まばゆいほどに光り輝く「日本」らしさを求めて南フランス・アルルに移る。

アルル時代には、これまで以上に強く明るい色彩を用いるようになり、麦畑の風景や名画『ひまわり』などの作品を残している。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《レモンの籠と瓶》 1888年5月

大橋さんは、今回展示される『種まく人』も、アルル時代を象徴する作品の一つと説明する。

「反対色や補色と言われる、黄色と紫の強いコントラストが見られる色彩を使っています。さらに、大きく輝いた黄色い太陽を描くのもアルル時代に描かれたものの特徴です。ゴッホにとって、太陽は神にも等しい存在だとも言われていて、オランダ時代であれば教会を描いていた位置に太陽を置いていることもあります。ゴッホは種をまいて育て、実ると収穫する、という農作業のサイクルや、永遠に繰り返される自然の営みに関心を持っていました。太陽は、こうした農作物を育む存在でもあったのです」

フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 1888年6月17-28日頃フィンセント・ファン・ゴッホ 《黄色い家(通り)》 1888年9月

精神病の発作に苦しみ療養院に入院したサン=レミ時代、自らを撃ちこの世を去るまで暮らした北仏のオーヴェール=シュル=オワーズ時代の作品も並ぶ。

フィンセント・ファン・ゴッホ《サン=レミの療養院の庭》1889年5月フィンセント・ファン・ゴッホ 《悲しむ老人(「永遠の門にて」)》 1890年5月フィンセント・ファン・ゴッホ 《花咲くマロニエの木》 1890年5月22-23日

「場所を移すたびに、その土地に根付く文化や出会いから新たな学びをどん欲に吸収して、練習を重ねて自分のものにしていく。ヘレーネのゴッホのコレクションを見ていくと、そうした画家としてのゴッホの展開をたどることができます」(大橋さん)

サン=レミ滞在時の作品『夜のプロヴァンスの田舎道』は、今回の展覧会の目玉だ。夜空にそびえる糸杉が描かれたこの絵は、16年ぶりの来日という。

◇  ◇

ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

2021年9月18日(土)〜12月12日(日)

※月曜・9月21日(火)は休室、ただし9月20日(月・祝)、11月8日(月)、22日(月)、29日(月)は開室

場所:東京都美術館・企画展示室(東京都台東区上野公園8-36)

チケットは、日時指定予約制。詳細は公式サイトから

展覧会は東京会場を皮切りに、福岡、名古屋にも巡回する。

(國崎万智@machiruda0702/ハフポスト日本版)

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Source: ハフィントンポスト
ゴッホ展の見どころは?「黄色い家」も公開。今に至る人気の立役者、その情熱に迫る【画像集】

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