広島への原爆投下から76年。被爆後の広島を貴重な画像と振り返る【広島原爆の日】

1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島に原子爆弾を投下した。2021年で76年となり、核兵器禁止条約が発効してからは初。あの日、何があったのか。当時の貴重な写真たちと振り返る。

南太平洋・マリアナ諸島のテニアン島を飛び立ったB29爆撃機「エノラ・ゲイ」。原子爆弾「リトル・ボーイ」を搭載していた。アメリカ軍第509混成部隊の隊長、ポール・ティベッツ陸軍大佐が機長を務めた。

「いま我々が落とそうとしている爆弾は、これまでの爆弾とは違うものだということをよく覚えておいてほしい」。投下当日の訓示は機密保持のため、「原子」や「核」という言葉は一度も使われなかった。

人類史初の原子爆弾投下は8月6日午前8時15分。その直後に起きたことを、広島市はこう伝えている。

原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。

爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。

原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。

広島への原爆投下による死者の数は現在でも正確には分かっていない。広島市によると、当時市内には居住者や軍人ら約35万人がいたとされ、1945年末までに約14万人が死亡したと推計される。爆心地から1.2キロ範囲内では、投下当日のうちにほぼ半分が死亡した。

2016年には当時のアメリカ大統領、バラク・オバマ氏が広島を訪問した。オバマ氏は平和祈念資料館の芳名録に「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」と記帳した。

演説では、「私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません」と核廃絶を重ねて訴えた。そして、被爆者団体「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)の代表委員を務める坪井直氏らと握手をしながら笑顔で会話を交わした。

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Source: ハフィントンポスト
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