「新型コロナウイルスのパンデミックによって、病気を診療する医療だと全然対処できないことが明快になりました」
そう語るのは、医師の武部貴則さん。東京医科歯科大学と横浜市立大学の教授を務める武部さんは、iPS細胞を使った再生医療研究のフロントランナーでありながら、デザインや広告などの手法を用いる新たな医療「ストリート・メディカル」を提唱している。これからは医療の対象を「病気」だけではなく、ヒューマニティの視点から「生活」や「人生」にまで拡張するべきだという。
ストリート・メディカルとはどのような概念なのか? 世界各国が新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄されるなか、私たちはどのような社会や街づくりを構想するべきなのか? 武部さんにお話を聞いた。
武部貴則(たけべ・たかのり)
横浜市立大学 先端医科学研究センター コミュニケーション・デザイン・センター長/特別教授。東京医科歯科大学教授。シンシナティ小児病院オルガノイドセンター副センター長。1986年生まれ。横浜市立大学医学部卒。 2013年にiPS細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基(ミニ肝臓)を作り出すことに世界で初めて成功。ミニ肝臓の大量製造にも成功。デザインやクリエイティブな手法を取り入れ、医療のアップデートを促す「ストリート・メディカル」という考え方の普及にも力を入れている。著書に『治療では 遅すぎる。 ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』(日本経済新聞出版)がある。
――現在の新型コロナウイルスの感染拡大の状況について、「ストリート・メディカル」の視点からどう捉えていますか?
病気を診療する医療だと、全然対処できないことが明快になったと思っています。
毎日メディアで言われていることは「マスクをしてください」「密を避けてください」「8時以降は外出を控えてください」。全部生活のことですよね。コロナにかかってしまった重症者の方だけの話ではないんです。
しかし「こうやってください」と適切に指示できる人がいません。だからパンデミックを止められずに、(ロックダウンなど)強制力を発動して、みんながアンハッピーになる。そういうサイクルを繰り返しています。
――あらためて、武部さんが提唱されている「ストリート・メディカル」とは?
大きな意味では、医療の力を人間の生活のために、もっと言えば、自己実現に活かしていくことだと考えています。
具体的に説明すると、人間は生きていく中でいろんな壁にぶち当たりますが、一番代表的なのが病気です。病気になったら、色々なことができなくなる苦しみがある。
今までの医療では、病気を治しはするけれども、その人が望む生きかたに向き合うことは領域の外にありました。
ストリート・メディカルでは、人間のための医療へのアップデートを行う。(病気だけでなく)人々の生活を医療の診断、治療の考え方を転用して改善していく。
その観点で考えると、医療の対象が拡張します。健康な成人と比べると(体力・能力など)格差がある方、高齢者、もしくは赤ちゃんや幼児。今は健康であるけれど、将来病気になるかもしれない方……。
これまでは医療の対象から漏れていた人たちも、意識しないといけない対象になっていきます。対象の拡張が起きることで、従来の医療の根本的な(パラダイム)シフトが起きるんじゃないかなと思っています。
――なぜ、従来のメディカル(医療)にストリートを加えたのでしょう?
2年ほど前に、クリエイティブディレクターの佐藤夏生さんと議論をしたことがきっかけでした。
佐藤さんに「武部さんの考え方はブックスマートよりもストリートスマートだよね」と言われたんです。その時はどういうことか分かりませんでした。
ブックスマートとは、読んで字のごとく、本や教科書をしっかり読んだ人。転じて、教育をしっかり受けて資格を持っているような人を表現します。
一方で、ストリートスマートは教育や学歴はないけれど、現場(ストリート)での実体験を通じて多くを学び、高い能力を発揮する人です。実践あるのみというタイプの人ですね。
今の医学部は、いわばブックスマートを養成する仕組みなんですね。ある病気を治す技術を提供できるお医者さんを育成する。しかし、僕らがやりたい拡張領域では、ブックスマートの論理では新たなアイデアが生まれません。
また、医療が病院の外のストリートに出るというニュアンスも込められています。
その後も、佐藤さんや仲間の皆さんと議論を重ねた結果、このように考え方の拡張とタッチポイントの拡張、それがうまく組み合わさって、ストリート・メディカルという表現になりました。
――小学3年生の時にお父さまが脳出血で倒れたときの経験が、ストリート・メディカルの重要性を感じた原点だったそうですね。
当時、家で母と兄と食事をしていたら、電話が鳴ったんです。電話に出た母の顔色が急に変わったことが分かりました。
(父が脳出血で倒れたことを子どもたちに伝えず)母は「お父さん、風邪を引いちゃったみたい」と言って、そのままいなくなったんですよ。
翌日から、祖母と祖父が家に来て世話をしてくれるようになりました。「医学部を目指せるくらい勉強を頑張ったら、お父さんは早く帰ってくるよ」と言われていたのを覚えています。
それからしばらく父とは会うことができませんでした。半年ほど経った頃に、いきなり母に呼び出されて、あるホテルに行きました。すると母が「お父さん、ダメかもしれない」と泣き崩れたんです。
「脳出血のため生きていられる確率は10%」と医師に言われたそうでした。生きることができたとしても、後遺症が残って普通には暮らせないと。僕は「え!」と言葉も出ないような状態になって、覚悟をしないといけないんだなと思いました。
しかし、最終的には父が倒れた直後の初期治療が早かったことも幸いして、助かったんですよ。1年ほどで社会復帰をして、今ではほとんど正常な状態に回復できています。
その経験によって、ひとりの人間の健康状態の変化は、(周囲の人にとって)ものすごく大きな生活上のインパクトがあるなと身にしみて感じました。父の仕事関係の方、ご友人、私たちの親族もすごく大きなインパクトを受けました。
また、父はなぜ倒れたかを考えた時に、医者が嫌いだったことがありました。健康診断で高血圧を注意されても、きちんと向き合うことなく過ごしていたんです。
日々の生活の中で、(体調管理など)調整できた部分があったのではないか。普段の生活、あるいは人生のような大きな視点で、医師として介入できることもあるのではないか。そう強く感じさせられた経験でした。
――ストリート・メディカルが重要な背景としては、この数十年で人々が苦しむ病気の質が変わったことも挙げられていますね。
一番分かりやすいのは、死亡原因が「命を脅かす病」から「生活を脅かす病」へ変わったことです。
第二次世界大戦の戦前は、死因となる病気がシンプルだったことが指摘できます。ある1つの原因に対して1つの結果があるというように、原因と結果が1対1の対応でした。
たとえば、外傷や微生物などが体内に侵入することによって生じる感染性疾患が多かった。結核や肺炎などですね。
これに対しては、抗生物質のペニシリンの開発など、医療技術の画期的な進歩によって、多くの病気を克服できるようになったんです。
戦後になると、死因はがん、脳卒中、心筋梗塞などが主たるものに変化します。これは原因と結果が1対1の対応でない病気です。
暴飲暴食、タバコや飲酒など、生活の現場で規定される因子の総和が、最終的な疾患の決め手になるんです。
つまり、薬や手術が原因全部を対処できるわけではありません。それ以外の生活の現場で対処しないといけない必要性が浮き彫りになってきました。
でもその変化は、ここ50年ほどの最近のことです。医療が2000年ほどかけて培ってきた、いろいろな実践論がハマらないミスマッチが起きているんですよね。
――武部さんの著書『治療では遅すぎる。 ひとびとの生活をデザインする「新しい医療」の再定義』(日本経済新聞出版、2020年)では、広告、アート、テクノロジーなど様々な分野のストリート・メディカル実践例が紹介されていました。太るとアラートの柄が出てくるパンツ、トリックアートが描かれた“上りたくなる階段”などがありました。その他、武部さんが好きな事例は何ですか?
僕が個人的に凄く好きなのは、家電メーカーのフィリップスさんの「ブレスレスコーラス」ですね。肺炎など呼吸器の病気によって、息が苦しく声を奪われてしまった方が、歌を歌えるようになるキャンペーンでした。
持ち運び可能なポータブル酸素濃縮装置が呼吸をサポートし、さらにイギリスの有名な指揮者のギャレス・マローン氏がコーラスの指導をしました。
そして1週間の練習を経て、ニューヨークのアポロシアターでコーラスを披露したんです。もうみんなが諦めていた「歌う」という行為を実現できました。
今の医療業界の人たちからすると「綺麗な話だね」の一言で終わらせてしまうかもしれません。でも実現した患者さんは「頑張ろう」という強い思いが湧いたと思うんですよ。
病気と向き合うことはすごく負荷のかかることです。そこで前向きに生きようとする気持ちを根本から支援をした。生きるために、努力をして病気と向き合おうとする力を、ものすごく引き出したんじゃないかなと思います。
単に、病気を直しておわり、健康至上主義ではなく、自己実現という観点で、ひとびとに寄り添うことが如何に重要か、という点を示唆している事例だと思います。
テクノロジーを使っただけでなく、ヒューマニティ(人間らさしさ)のある取り組みだと思います。とても本質的なことを捉えている。こういうことを医療がやるべきだと思うんです。
――武部さんがイメージする、未来の人々の医療との関わり方とは?
私が専門とする再生医療など先端的な分野は、一般の方は人生で関わらないような、遠い組織になっていくと思っています。
その代わりに、街のコミュニティの中に医療が溶け込んだ仕組みができていく。
今でいう小規模なクリニックが、コミュニティと強く結びついていく。会社に健康相談室があると思いますが、それに近いものがコミュニティの中にあるイメージでしょうか。コミュニティでの見守り単位がより強くなっていくと思います。
人々の生活の場に根ざした医療に変革せざるをえないし、変革するべきだと思っています。
――コロナ禍で、ストリート・メディカルの視点で、特に課題だと感じていることはありますか?
例えば、私のラボがあるアメリカで強く感じるのは、インテリジェントな富裕層とミドル・ロウワークラス(中流下層階級)の格差です。
富裕層には情報が行き渡っていて、感染リスクが低い。ラボのあるシンシナティ(オハイオ州)では、新たな感染者が多数出ていますが、(富裕層の多い)私たちの病院の周囲ではほとんど患者がいないんですね。
感染しているのは、黒人、ヒスパニック、そしてホームレスなどの貧困層です。その多くは医療の知識があって、メディアを毎日チェックしている人ではない。
では、情報がうまく届かない層に対して、何をやっていくのか。コロナ禍では、それが決定的な問題として炙り出されていると思っています。
――そうした感染症の課題に対して、ストリート・メディカルではどのようなことができるでしょうか?
今、国に提案している「ストリート・メディカル・シティ」という構想があります。都市計画の段階から、ストリート・メディカルのメカニズムを人々の日々の暮らしの中に実装していきたいと思っています。
トヨタさんがモビリティを中心に、人々の暮らしを支えるモノやサービスがつながった都市「ウーブン・シティ」を作る実証実験をしています。
そういった形で、我々と様々な取り組みを進めてきた横浜市とストリート・メディカルの観点から、人間のための医療の仕組みを集約した都市モデルを実現できないかと考えています。
これからの10年ほどで、横浜市では大型モールや公園などの開発プロジェクトがたくさん進められます。デベロッパーさんと話をしながら提案していこうと考えています。
ストリート・メディカルの視点から街が設計されることが普通になる時代がくれば、感染症の広がりにも対処しやすくなるのではないかと思っています。
――どういう街づくりになるのでしょう?
たとえば、感染症でいえば、テーブルと椅子の配置のデザインを変えるだけで、人々が向かい合うことなく、ソーシャルディスタンスを確保できます。足で操作する自販機があれば、手を通して感染症に感染することがなくなります。
さらに医療の診断で使っている考え方を、人の流れの分析や、街やコミュニティに応用できるのではないか。
今、具体的にどういうことができるのかを考えている段階ですが、僕らが患者さんに対してやってきた医療のノウハウを、街づくりの開発に生かすことができれば、新しいことができるのではないかと思っています。
究極を言うと、人々が生きていく中で、自己実現を達成するための障壁を取り除いていきたいと考えています。
Source: ハフィントンポスト
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