「人前で笑っていいのか、葛藤もあるんですよね」
インタビュー取材を終えて、写真撮影でカメラを向けると、東京・池袋暴走事故で妻と娘を失った松永拓也さんはふとこぼした。
事故から2年、できることは何でもしてきた。
事故5日後の記者会見。厳罰を求める署名活動。事故防止策や被害者支援を求める国への要望書。刑事裁判と民事裁判。
メディアを通じて、常に「闘う姿」を見せてきた。
松永さんを突き動かすのは「2人の命を無駄にしない」という思い。
そのために何が必要か。2人ならどうするか。
常に自分に問いかけ、葛藤してきた松永さんは「大きな視点を持って、事故をなくす」という一つの“答え”に辿り着いた。
2019年4月19日。松永さんの妻真菜さんと娘莉子ちゃんは、東京・東池袋で赤信号を無視した暴走車にはねられた。
遺体を自宅に引き取った松永さんは、2人の手を握ったまま、火葬までの数日間ほとんど眠れない日々を過ごした。
頭をよぎった自死。「2人がそれを望むのか」と振り切った。
何かしなくては。5日後に記者会見を開いて「少しでも運転不安な人は考えて」と訴えた。
「交通事故はたった一瞬の出来事。それでこれだけ引きずるんです。こんな理不尽なことはないです」
「事故は毎日起きている。苦しんでいる人がいっぱいいて、これからも生まれ続けます。犠牲者をゼロに近づけるようとする努力は絶対にやめるべきではないです」
松永さんはその年の9月、「関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)」として、国交省に高齢ドライバーによる事故対策などを求める要望書を提出した。
池袋暴走事故の影響や松永さんの活動の甲斐もあってか、2019年の免許自主返納は60万件超えで過去最高を更新。75歳以上が6割を占めた。
2020年6月に成立した改正道路交通法は、一定の違反歴のある75歳以上高齢ドライバーに免許更新時の「運転技能検査」を義務付けた。
松永さんは、ひとりひとりの免許返納の決断や法整備を歓迎する一方で、高齢ドライバーの事故防止策を、個人の問題や努力に矮小化してはいけないと考えている。
「大きな視点で言えば、なぜみんな返したくないのかと言ったら、生きていけないからです。そもそも家族の説得に頼りきっている現状そのものも問題です」
「免許返納にせよ更新制度にせよ、ごめんなさいとする以上は、その人たちが生きていくためのセーフティネットを作ることが当然必要。それがまだ十分ではない」
「彼らをどう救済するのかという視点を持たないといけないし、問題が生まれてしまう現状に疑問と怒りを持つべきだと思います」
こうした活動の裏で、絶えず浮き沈みや葛藤を抱えてきた。
「2人との死別に対する気持ちの波がすごくて、日によっても違うし、1日の中でも波があります。もう立ち上がれない時もありました」
事故からしばらくの間は、思いや責任感の強さが、自分自身を苦しめた。
「正直、何もやりたくない時もあります。最初は、何かしなくてはという思いが強すぎて、できない自分を許せない時もありました」
そんな自分も受け入れられるようになったのは、一周忌を過ぎた頃から。
事故の約1カ月後に「関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)」代表小沢樹里さんから寄せられた手紙をきっかけに、カウンセリングに積極的に通うようになった。今では気持ちの波の周期も、少しは緩やかになっていると感じる。
「生きていくと決めた限りは、進んでいかないといけない。でもずっとは前は向けません。時々後ろに戻ったり、振り返ったりする。それを繰り返して、結果的にぐるぐると少しづつ、螺旋を描きながら、最終的に前に進んでいるのであればいいのかなと思っています」
そうした気持ちや考え方の変遷と、「2人の命を無駄にしない」という変わらない思いとが、同居した2年だった。
絶望の淵にいた松永さんにとって、支えとなったものがある。家族と、被害者支援制度と支援者だ。
悲しみと困惑で何もかも分からない状態で、捜査協力から行政手続きやメディア対応まで、全てに向き合わなければならなかった。
「被害者支援センター」の臨床心理士によるカウンセリングや、被害者支援に特化した弁護士のサポートが、法律面や心の回復の後押しになったという。
「最初は、妻と娘のことだから、自分が全部背負って対応しないといけない、人に頼っちゃダメと思っていました」
考えが変わるきっかけは、「あいの会」代表の小沢さんからの手紙。
「ひとりで悩まないでください」という言葉と、どんな被害者支援があるのかがつづられていた。被害者に必要な情報が集約された「被害者ノート」と一緒に、事故から約1カ月後、松永さんの元に届いた。
一筋の光でもあったが、その時は、葛藤や警戒心も入り混じっていた。
「遺族会のような団体と接触するのは、本当に大丈夫なんだろうかと。事故があって、何かと疑心暗鬼になっていたので。多くのご遺族も疑心暗鬼な状態を経験したことがあると思うんです」
でも頼ってみると、気持ちが少し楽になった。
「頼れる時は頼っていい」
そこから、カウンセリングに積極的に通うようになった。
「私は早い段階からつながることができましたが、おそらく、全ての被害者が同じ環境ではない。支援が広がり、多くの人に認知されることで、万が一被害者側になってしまったとき、多くの人が苦しみの軽減させることにつながるのではないかと思います」
支援につながったおかげで今の活動がある。「犯罪被害の支援者はたくさんいるのだと、多くの人に知ってもらいたい」と呼びかける。
もう一つの支えは家族。
たくさんのサポートはもちろん、「みんな尊重してくれて、気を遣ってくれた」と感じている。
最初の記者会見。クラブ側から、真菜さんと莉子ちゃんの写真を公開してもらうよう弁護士を通じて要請があった。
出すべきかどうか、松永さんは悩み、家族の中で意見が分かれた。
「出すことで交通事故が1件でも防げるかもしれない。だから出したいと思っている」と伝えると、「拓也がそう思うなら」と家族は了承してくれた。
最初は、うまく親に頼ることができなかった。
「意地になってしまった時期もあって、親と喧嘩にもなりました。それがあったら逆に信頼関係が築けたのかなと今となっては思っています」
家族でも、被害者との関係性や事故の受け止め方もそれぞれ違う。事件や事故をきっかけに、家族がバラバラになってしまうという残酷な例もある。
「そうなってしまいそう」と直感して、できる限りお互いの意見を尊重し、コミュニケーションを密に取るよう努めた。
「実際問題、それが壊されてしまうのが犯罪被害です。残されたものまでバラバラになってしまうパターンもあると思います。だから悲惨なんです」
「悔しかったんです。妻と娘が命を奪われて、なおかつ家族までバラバラにされたら、そんな理不尽なことないじゃないですか。2人も悲しむ。そこだけは守りたかった」
松永さんと家族は、被害者参加制度を利用して、毎回刑事裁判に参加している。6月の被告人質問では、松永さんが直接質問をする予定だ。
飯塚被告に罪を償って欲しいと願う一方で、2人の命が戻ってこないことを考えると、やりきれない思いがある。
「虚しいんですよ、裁判って。でもそのうち、やれることをやったと思えるようになって、生きていく力にはなるはず」と打ち明ける。
同時に、軽い罪で終わるという前例を作らないことや、再発防止への議論になるよう願っている。
「これだけ大きな事故なので、日本が交通事故について考えるきっかけにならないといけない。単に加害者が裁かれるだけではなく、証拠に基づいて明らかにされた事故原因から、再発防止の議論につながってほしい」
「次に起こさないために、ひとりひとりの犠牲者を無駄にしないという社会の議論、大きな視点につながって欲しいです」
インタビューの終わり。写真撮影でカメラを向けると、松永さんは表情に困った様子で、こう漏らした。
「笑っていいはずなんだけど、人前で笑っていいんだろうかという葛藤もあるんですよね」
“池袋暴走事故の遺族”としてメディアで語る松永さんは、神妙な面持ちにならざるを得ない。
ひとたび取材の場を離れれば、悲しみやつらさだけではない、普段の生活がある。私たちが受け取る“被害者像”と、本来のその人とが、かけ離れた姿で伝えられていることも少なくはない。
「『笑っちゃダメ』という雰囲気に苦しんでいる遺族も多くて。それが生きづらさにつながってしまうのはありますよね」
「ずっと泣いている方ももちろんいると思いますが、一側面だけじゃない。笑えないこともあります。陽気でない日もあるけど、生きていくと決めた以上は、笑う日もあるんですよね」
そう言った松永さんの表情は、少しだけ和らいでいた。
Source: ハフィントンポスト
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